【レビュー】アッセンブリッジ・ナゴヤ レジデンス事業「港まちAIRエクスチェンジ2024」 文:飯田志保子(キュレーター/国際芸術祭「あいち2025」Aichi Triennale 2025学芸統括) | つながるコラム | クリエイティブ・リンク・ナゴヤ

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2025.1.22

【レビュー】アッセンブリッジ・ナゴヤ レジデンス事業「港まちAIRエクスチェンジ2024」
文:飯田志保子(キュレーター/国際芸術祭「あいち2025」Aichi Triennale 2025学芸統括)

「港まちAIRエクスチェンジ2024」インドネシアからの招聘アーティスト

 

 

 

アッセンブリッジ・ナゴヤは名古屋の港まちを舞台にし、アーティストや表現者がまちに滞在して制作活動や公演を行うことで、まちや人々が文化芸術と出会い、新たな文化が生まれていくことを目指す活動です。2016年にスタートし、これまで様々なアーティストと地元の人々との交流が行われ、まちの活性化に寄与してきました。
このような活動方針が当組織と合致することから、今年度からクリエイティブ・リンク・ナゴヤも構成団体の一員となりました。
今回は、飯田志保子さんによるレジデンス事業「港まちAIRエクスチェンジ2024」のレビューをご紹介します。

 

【港まちAIRエクスチェンジ2024】

日時:2024年11月~12月

会場:港まちポットラックビル、スーパーギャラリー、旧・名古屋税関港寮

レジデンス・アーティスト:フィトリアニ・ドゥイ・クルニアシ進藤冬華

 


 

■ 飯田志保子 キュレーター/国際芸術祭「あいち2025」Aichi Triennale 2025学芸統括

アッセンブリッジ・ナゴヤ レジデンス事業「港まちAIRエクスチェンジ2024」レビュー

 

2015年度から2020年度まで名古屋の港まちを舞台に開催された音楽と現代美術のフェスティバル「アッセンブリッジ・ナゴヤ」。2021年度からは形式を変え、アーティストが港まちに滞在し、リサーチや制作を通してまちの人々とのコラボレーションや名古屋内外のアート関係者と交流を行うアーティスト・イン・レジデンス(AIR)が活動の中心となった。以降、今年度で4年目となる「港まちAIRエクスチェンジ」では、海外アーティストに加え、新たに国内のアーティストの招聘も始まった。特筆に値するのは、本事業が招聘したレジデント・アーティストの制作やリサーチの環境を提供することだけに注力するのではなく、AIRをアッセンブリッジ・ナゴヤがこれまで築いてきた複合的なプログラムとネットワークに組み込むによって、各プログラムの相乗効果と交流の広がりを生み出していることである。たとえば、公募により選出された5名のアーティスト(浅沼香織、仙波瑞姫、五月女かおる、山岸大祐、楊アジョ)が2024年6月から2025年3月まで旧・名古屋税関港寮で制作を行う「アッセンブリッジ・スタジオ」、年に一度の街区の祭りとして、音楽、アート、マーケット、多様な地域の文化が集合する「港まちブロックパーティー」と港まちの社交場として開いている「NUCO」、そして全アーティストのオープンスタジオとレジデント・アーティストによるトークといったプログラムがAIRの期間と一日から数か月にわたって重なり、各アーティストの活動が人々と有機的につながる機会と空間が創出される。このスキームによって、国内外の異なる背景、関心、経験を持つアーティスト同士、そしてアーティストとまちの人々が出会い、制作のみならず日常生活や食事の場を介して交流し、互いに刺激を受け、学び、新たな視野を開くことができる。今年度のように、地域の人々と行った共同制作の成果がブロックパーティーで披露された流れは、AIRの活動を地域に開き、可視化して広く共有する点で効果的で、模範的とすら言えるだろう。無論、実践の軸がコミュニティとのコラボレーションにあり、経験を重ねてきたアーティストだからこそもたらされた成果であることは記しておきたい。

 

オープンスタジオの様子
 

 

インドネシアのジョグジャカルタから招聘したフィトリアニ・ドゥイ・クルニアシ(フィトリ・ディーケー)は、アーティスト・コレクティブ「サヴァイブ!ガレージSURVIVE! Garage」「タリン・パディTaring Padi」両方のメンバーとして共に活動しているバユ・ウィドドと来名。港まちにあるいくつかの既存のアート・コミュニティとまちの人々との交流に重点を置き、二人の表現言語である版画と音楽を媒介に活動を行った。足踏み版画の技法で木版画をプリントするプリント・パーティーを開催したり、インドネシアのジャワ島やバリ島に伝統的な影絵芝居のワヤンに着想を得て、船、魚、楽器など港まちに縁のあるモチーフを段ボール(本来は牛の皮を用いる)に描いてパペット(操り人形や看板)を作り、歌をうたうワークショップを行い、参加者と共にパペットを掲げてブロックパーティーで歌いながらパレードやステージパフォーマンスをしたり。また、「港まち手芸部」に参加して編み物を教わるなかで日々の生活で不足しているものをいただくこともあれば、逆に10代のフリースペース「パルス」ではインドネシアの料理を振舞いつつワークショップを行うなど、ホストにもゲストにもなりながら、人々と互恵的な関係を築いた約2カ月間の滞在であったことが窺える。地域の参加者と共同制作した数々のパペットには「共に」「ともに SAMA SAMA」「together」という言葉が散見された。

 

「港まちブロックパーティー」でのパフォーマンス

 

「ともに SAMA SAMA」のパペット
写真:筆者提供

 

フィトリのトークで紹介されたサヴァイブ!ガレージがコミュニティと行う学びのプロセスは、「属性に関わらず誰もが教師という意識/相互共有/参加と併せて社会的・政治的な自由と権利を持つこと/アートは教育の媒介となりうる」。徹頭徹尾、学びの過程においてヒエラルキーを生じさせない態度と、自由を求める権利が念頭に置かれている。フィトリ自身の方法論においても、「アーティスト」として相手に接するのではなく、「友だち」になることが強調されていた。互いに学び合うこと、コミュニティのストーリーやニーズに耳を傾けること、考えを交換し、共有し、「何か」を共につくることを大事にしていると語っていた。[1]作品や成果物である必要はなく、「何か」で良いのだ。形すらなくても良いだろう。

 

アーティストトーク(フィトリアニ・ドゥイ・クルニアシ)

 

トークではフィトリだけでなく、札幌から招聘した国内レジデント・アーティストの進藤冬華も、食事の準備のエピソードについて触れていた。誰も何も言わなくても皆が阿吽の呼吸でテキパキ動いていたと。このことは、互いの時間と場所とリソースを共有し、港まちAIRで確かに新たなコミュニティが生まれたことを物語っている。

 

滞在が一か月の進藤は、港まちのコミュニティのリサーチに加え、かつて自身がコミュニティのなかで行った過去のプロジェクトについて見直す反芻の機会とした。北海道の近代化はアイヌ民族に対する植民地化と表裏一体であることから、入植者の末裔として歴史と対峙する困難さが進藤の実践を動機づけてきた。公的機関に残されている北海道の記録やそれらが収蔵された経緯を想起しながら、進藤はプロジェクトを残す難しさと後世の人々に届く可能性の両方を模索していた。

 

アーティストトーク(進藤冬華)

 

港まちでは印刷出版文化や版画といった、記録に付随するメディアや方法について思索を巡らす好機になったと話していた。フィトリとバユが港まちの人々と関係を構築していく姿を含め、港まちでの経験ひとつひとつを札幌と北海道の状況に投影し、自分の立ち位置を客観視することで、今後の活動の糧を得た様子だった。とりわけ印象的だったのは、トーク後に進藤が、名古屋は人と人が有機的につながっていて居心地が良く、共同で何かすることに長けている、「ここは耕されている」と語っていたこと。「耕す」とは、手数をかけ、愛情を注ぎ、ケアすることである。離れていても安心して対話ができるネットワークが名古屋にある実感を得て、様々な事業を支えるスタッフとの信頼関係がこれまで以上に深まったとも述べていた。進藤のスタジオには、名古屋で美術に従事するごく少人数とのクローズド・ディスカッションにおける参加者の発言やコメントが貼ってあり、かなり率直で正直な意見が交わされた痕跡が残っていた。誰もがアートに触れ、自由闊達な意見交換や繊細な心境を吐露できるセーフ・スペースであろうとすることは、美術館をはじめあらゆる芸術文化機関の目標である。

 

進藤が滞在中に制作した作品展示とスタジオ公開

 

2014年から約10年かけて、港まちを名古屋の芸術文化を育むセーフ・スペースに耕してきた人たちがいる。それは、惜しまれながら2024年10月で港まち「ポットラックビル」での活動は終了したが、今もアッセンブリッジ・ナゴヤとそのプログラムのひとつである「港まちAIRエクスチェンジ」の屋台骨として活動を継続しているアート・プログラムのオーガナイザー、MAT, Nagoya。[2]本事業に至るまで、その多大な尽力と貢献があったことを忘れてはならない。

 


 

[1] フィトリもバユも、1998年スハルト政権崩壊直後に結成されたアーティスト・コレクティブ「タリン・パディ」に影響を受けたリフォルマシ世代のインドネシアの現代アーティストである。2009年にバユが創設した「サヴァイブ!ガレージ」は自宅のガレージから始まり、現在では若手アーティストのために街中で壁長12mの壁画プロジェクトも行うなど、制作・発表・物販の場を創出している。タリン・パディから得た学びを次世代のアーティストに共有し、機会を提供するアートのエコシステムを作る一環である。あいちトリエンナーレ2016に参加したコレクティブ「ルアンルパ」はタリン・パディとほぼ同時代の2000年にジャカルタで活動を開始し、同じくあいちトリエンナーレ2019に参加したコレクティブ「パンクロック・スゥラップ」もタリン・パディの影響を受けて2010年にマレーシアのサバ州で結成された。「アートより友だち」のモットーや、音楽との親和性、アートの生態系とコレクティブのサステナビリティに取り組む姿勢は、いずれのコレクティブにも色濃く継承されている。
https://aichitriennale2010-2019.jp/2016/artist/ruangrupa.html
https://aichitriennale2010-2019.jp/2019/artwork/A26.html

 

[2]Minatomachi Art Table, Nagoya(MAT, Nagoya)https://www.mat-nagoya.jp/
【MAT, Nagoya の今後の活動について 】 | Minatomachi Art Table, Nagoya [MAT, Nagoya]| みなとまちアートテーブルなごや

 

(写真提供:アッセンブリッジ・ナゴヤ実行委員会)