【調査研究】名古屋の文化芸術を支える人たち vol.2 山田晋平さん | つながるコラム | クリエイティブ・リンク・ナゴヤ

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2025.3.4

【調査研究】名古屋の文化芸術を支える人たち vol.2 山田晋平さん

 

クリエイティブ・リンク・ナゴヤの2024年度調査研究の一環である「名古屋の文化芸術を支える人たち」レポートの第2回です。

名古屋で鑑賞できる美術、音楽、演劇などの文化芸術に関連し、美術家、演奏家、舞踊家などの表現者や、美術館、文化施設、教育機関の企画者などに関する記事等は数多くありますが、イベントやプロジェクトを支えるマネジメントの担い手の紹介はそれにくらべると多くはありません。本調査では現在、名古屋の重要なプレーヤーとなっている方々の経験談から、文化芸術活動へのヒントを発見していただければと思います。

 


 

第2回 インタビュー:山田晋平さん

撮影:関口威人

<プロフィール>

舞台映像作家/株式会社「青空」代表取締役。1979年、東京都出身。京都造形芸術大学映像・舞台芸術学科舞台芸術コース卒業後、舞台映像の専門家として独立。2013年から2020年まで愛知大学文学部現代文化コース・メディア芸術専攻特任准教授を務め、「あいちトリエンナーレ2016」にも携わって豊橋市に拠点を移す。国際芸術祭「あいち2022」ではテクニカル・ディレクターを務め、「あいち2025」でも継続。
http://yamadashimpei.com/

 

<職種紹介>

舞台映像作家
舞台芸術と映像表現の両方に関わる深い造詣と、映像技術や機材についてのテクニカルな知識の両方が必要。舞台監督、演出家、俳優、照明や音響など多くのアーティストやスタッフと密にコミュニケーションしながら仕事を進めていく力も求められる。

 


 

映画好きの学生から舞台の映像づくりの専門家へ

高校時代から映画が大好きで、卒業後はすぐには大学に進学せずに、渋谷の映画館でアルバイトをしていました。この頃の4年間で合計1200本ほどの映画を、映画館で観ました。

同時に「イメージフォーラム映像研究所」に通い、映像表現を学びました。実験映画というジャンルに出会い、特に伊藤高志さんの作品に夢中になりました。彼のもとでより本格的に映画を学びたいと、22歳の時に京都造形芸術大学に入学しました。
僕が在籍していたのは映像と舞台芸術の両方を学ぶコース。それまでには一度も演劇を見たことはありませんでしたが、舞台芸術を教える先生の講義がとても面白くて。演劇にも魅力を感じて勉強し始めたのはこの頃からですね。

大学3年になった時、京都の小劇場の演出家が「舞台で映像を使ってみたい」と映像制作ができる人を探しに大学に来ました。その時に先生が僕を推薦してくれたのです。誰よりも多く映画を見ているし、舞台にも興味を持っているからと。演劇と組み合わせるための映像をつくる仕事をしたのは、この時が最初です。

自分のつくった映像が、俳優の演技や照明、音楽といったたくさんの要素と関わりながら成立していく。難しかったけれど、なんて面白くて贅沢な経験なのだろうと感動しました。大学を卒業するタイミングで、自分は「舞台映像」の専門家になると決めました。

当時はちょうどプロジェクターが普及し始め、ノートパソコン一台で映像の編集と送出ができるようになった時期でした。舞台美術や舞台照明、音響といった仕事は職業として確立していましたが、舞台で使う映像の専門家はいませんでした。それで僕は「舞台映像の専門家です」と名乗って活動を始めました。「舞台映像」という言葉自体も、僕が最初に使い始めたと言っていいくらいだと思っています。

最初にチャンスを与えてくれた演出家とはその後も定期的に仕事ができましたし、他の演出家や舞台監督からも少しずつ声がかかるようになりました。ただ、先例のない仕事なので分からないことを教えてくれる先輩もいない。どんな機材を使うべきか、どこにどう投影するかなど、技術的なこともすべて自分で調べて仕事を成り立たせていきました。

 

自分の表現よりも他者の求めに応じる「デザイナー」

豊橋市に来たのは、愛知大学が文学部にメディア芸術専攻というコースをつくるにあたり、立ち上げから関わり始めたことがきっかけです。
アーティストを養成することが目的の専攻ではないので、学生たちには「自分の思いやイメージを、どんなメディアを使って伝えるかを学んでほしい」と話していました。講義のためにあらためて現代美術史などを学び直したのは、作家としての自分の成長にとってもよい経験になりました。

とはいえ教育は学生一人ひとりにしっかり向き合わなければできない、大変な仕事です。大学と並行して舞台芸術の現場にも参加し続けていたのですが、両立が難しくなってきた。小劇場で一緒にやっていた人たちも大きな仕事を手掛けるようになって、徐々に仕事の規模が大きくなってきましたし、オペラに映像を付けてほしいという依頼をいただいたりする。収入面でも不安がなかったわけではないですが、2020年に大学を辞めて再び映像作家として独立するという決断をしました。

独立と同時にコロナ禍に見舞われ、肝心の劇場が軒並み閉まってしまった。「ならば映像で作品を発表しよう」と考えた演出家やダンサーのような舞台に関わる人たちから、僕に声がかかりました。

ちょうどその頃から、現代美術のアーティストとのコラボレーションも増えてきました。国際芸術祭「あいち2022」ではテクニカル・ディレクターを務めました。アーティストの作品プランを聞いて、展示空間に適した機材を選んだり設置方法を考える、コーディネートの仕事です。

 

国際芸術祭「あいち2022」 展示風景 AKI INOMATA《彼女に布をわたしてみる》2022 ©︎ 国際芸術祭「あいち」組織委員会  撮影:ToLoLo studio

 

今でこそ僕は作家と名乗っていますが、舞台映像の仕事はむしろ「デザイナー」といったほうがふさわしいことも多いですね。舞台照明や音響といった役割にもそういうところがあると思いますが、自分の表現したいものをつくるというよりは、アーティストの求めに応じてその場に合った映像を提供する仕事だと思っています。

 

「映像演劇」からオペラや文楽とのコラボも

演劇カンパニー「チェルフィッチュ」を主宰する演劇作家の岡田利規さんとは、映像でなければできない演劇「映像演劇」に取り組んでいます。カーテンの向こうに人がいる映像を撮って、カーテンに投影する。風が吹くとカーテンが揺れて映像が映らなくなるから、人が消えたようにも見えます。僕が先に映像の撮影と投影の方法を考えて岡田さんに提案し、彼がそれに合わせて戯曲を書きます。

 

「風景、世界、アクシデント、すべてこの部屋の外側の出来事」2020 札幌文化芸術交流センター SCARTS (C)Kenzo Kosuge

 

最近ではオペラや文楽といった歴史ある芸術とのコラボレーションも経験しました。『BUNRAKU 1st SESSION』は、『となりのトトロ』など数々のジブリ映画の背景を手がけた男鹿和雄さんの描いた背景画と文楽を組み合わせて「曾根崎心中」の「天神森の段」を上演する試みです。自分が絵コンテを描いて男鹿さんにお渡しし「こんな森の絵に」とディレクションしました。文楽ならではの魅力を生かしながら、映像があるからこそ生まれる新たな表現が実現できたと思っています。

 

提供:国立劇場

 

全国共同制作オペラ『ラ・ボエーム』では、演出家の森山開次さんが描かれた絵をプロジェクションマッピングで投影しました。セットが組んであったり、反響板があったりとステージには凸凹がありますから、ただ映すだけでは見えない部分が出てきます。イメージ通りに映し出せるよう、森山さんに絵を直していただいたりもしました。

 

 

一つ舞台作品に参加すると、それを見た人から声が掛かって別の作品に関わるという繰り返しで仕事の幅を広げてきました。自分は文楽にもアニメにも、オペラにも精通していたわけではありません。それでも大きなプロジェクトに呼んでもらえるのは、舞台と映像の間をスムーズに繋げる人だと認識されているからではないでしょうか。

 

豊橋を拠点に名古屋にも 実験や挑戦するには良い環境

今の事務所は水路の暗渠の上に建てられた「水上ビル」にあります。豊橋駅からほど近い、アーケードのある商店街にあって、戦後は問屋や小売店がひしめき合い賑わっていたそうです。全国の他の商店街と同じく、シャッターを下ろされたままの店も増えていますが、2016年に「あいちトリエンナーレ」のサテライト会場になったこともあり、カフェや小さなお店を開く若い人も集まってきています。

僕も空き家になっていたところを借りて、1階をアトリエ、2階と3階は住居としても住めるようリノベーションしました。2階のキッチンは「水上ビル」周辺のまちづくりの取り組みに共感した豊橋の企業に協賛してもらいました。

 

 

ここに住むメリットは大いに感じています。あくせくしないでゆったりと暮らすことができますし、生活にかかるコストも東京に比べるとずっと安い。不動産もそれほど予算をかけずとも希望の物件を見つけやすいので、広いスペースでさまざまな実験をしてみたいと考えるアーティストにとっては良い環境です。駅からはすぐ新幹線にも乗れますし、今は打ち合せもほとんどリモートですから、仕事の上で特に不便だと思うこともありません。

小さな都市では近隣で上演される作品の数が少ないという面はあります。でも「穂の国とよはし芸術劇場PLAT」では興味深い作品が見られることが多くなりました。時間が空いた時にさっとチケットを取って、歩いてコンサートを聴きに行く、なんてこともあります。名古屋市の劇場もそれほど遠くありません。京都や東京に居た頃と比べても、劇場に足を運ぶ機会は減っていないと思います。芸術や文化を楽しむ機会を新たに作り出していく挑戦ができる場として、魅力を感じています。最近は忙しくて愛知県内の仕事はそこまで多くありませんが、応援してくれる方の思いに応えるためにも、もっと地元の仕事をしたいと思いますね。

 

写真:山田晋平さん提供
*冒頭ポートレイト除く