【調査研究】名古屋の文化芸術を支える人たち vol.4 高橋佳介さん | つながるコラム | クリエイティブ・リンク・ナゴヤ

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2025.3.24

【調査研究】名古屋の文化芸術を支える人たち vol.4 高橋佳介さん

 

クリエイティブ・リンク・ナゴヤの2024年度調査研究の一環である「名古屋の文化芸術を支える人たち」レポートの第4回です。

名古屋で鑑賞できる美術、音楽、演劇などの文化芸術に関連し、美術家、演奏家、舞踊家などの表現者や、美術館、文化施設、教育機関の企画者などに関する記事等は数多くありますが、イベントやプロジェクトを支えるマネジメントの担い手の紹介はそれにくらべると多くはありません。本調査では現在、名古屋の重要なプレーヤーとなっている方々の経験談から、文化芸術活動へのヒントを発見していただければと思います。

 


 

第4回 インタビュー:高橋佳介さん

撮影:関口威人

<プロフィール>
名古屋市中区のデザイン会社「クーグート」代表。1966年、愛知県岡崎市生まれ。豊田工業高等専門学校中退後、18歳で広告の企画デザイン制作の仕事に就く。1993年にクーグートを創業し、フライヤーやパンフレット、新聞、雑誌などの広告の企画・デザインを手掛ける。1999年インディペンデントレーベルを立ち上げ、2005年以降は地域情報サイト「サカエ経済新聞」「名駅経済新聞」の運営、まちを使った学びの場「大ナゴヤ大学」の立ち上げなどに活動の枠を広げ、名古屋市の文化芸術系プロジェクトにも多数携わっている。

 

<職種紹介>
クリエイティブディレクター・デザイナー
広告をデザインしたり、まちづくりイベントを企画・運営したりするだけでなく、地域の歴史や文化を丁寧に読み解き、その背景も含めて伝わるようにする。コミュニケーション力や予算管理能力はもちろん必要だが、最も大事なのは地域社会にしっかり向き合い、面白がる好奇心。

 


 

小さなデザイン会社に「ローカルで等身大」の仕事

クーグートは創業32年、設立からちょうど30年になります。当初はデザイン会社として大手広告代理店から仕事をもらったり、全国流通する商品の広告の企画デザインなども任されたりして、昼も夜もなく働いていました。
でも、次第にこれは違うなと思い始めました。自分が欲しくもなかったり、高くて手の届かなかったりする商品などの広告をして何になるんだろう。もっとローカルで、自分たちが暮らすところに近い、自分たちの等身大の仕事をしたい。そんなふうに思っていたとき、「みんなの経済新聞」という地域情報サイトのネットワークからオファーがありました。最初の「シブヤ経済新聞」を全国展開する流れで「名古屋でも」という話があり、編集プロダクションなどではなく私たちのような地域のユニークな会社にやってもらいたいということで引き受け、「サカエ経済新聞」が始まりました。2008年には別会社が運営していた「名駅経済新聞」も引き継ぎ、現在も地域に根付いた情報を発信しています。

「大ナゴヤ大学」も当時、東京・渋谷で始まっていた「シブヤ大学」のノウハウを名古屋に移転するという形で2009年にスタート。私は立ち上げ時の理事の一人として、名古屋のまちを再発見するさまざまな活動を展開しました。それらを通して名古屋市からまちづくりのプロジェクトで相談や依頼を受けるようになり、旧名古屋テレビ塔での「SOCIAL TOWER MARKET」、大須や円頓寺などのまちを舞台に歴史文化をテーマにした「NAMO.」プロジェクト、そしてそれと同時期にスタートした「やっとかめ文化祭」に2年目から関わるようになります。

 

 

 

「やっとかめ」で意識した歴史文化や芸能の伝え方

「やっとかめ文化祭」は名古屋の歴史・文化の魅力を一堂に集めたまちの祭典として2013年に始まり、私は翌年の第2回から正式にディレクターとなりました。当時からディレクターは私を含めて3人体制で、日本舞踊・西川流家元の西川千雅さんが芸能担当、コピーライター・プランナーの近藤マリコさんがまち歩きや寺子屋などの担当、私が広報・ボランティア担当といった役割分担でした。

 

 

私は広報といってもお金をかけてバッと広げるのではなく、一つ一つ丁寧に広げていきたいという思いがありました。それは「大ナゴヤ大学」の経験もあったからです。
例えば、自分ではなく別のチームが考えたのですが、名古屋で「戸部蛙(とべかえる)」という小さな郷土玩具を作っているおばあさんたちを巻き込んだ企画がありました。彼女たちに「何百個まとめて作ってください」とただお願いしても心に響きません。でも「みんなで作り方を習いに行きます」という話だったら喜んで作り方を教えてくれるし、その由来や物語を話してくれます。そういうコツコツとしたやり方が「やっとかめ」にはフィットすると思いました。

でも、観光や経済界は大きい仕掛けじゃないと動かないところがあります。だから名古屋の舞妓・芸姑さんが海老反りをするお座敷芸をみんなで挑戦する「しゃちほこチャレンジ」なんて派手なステージもPRのネタにしました。それを一過性の話題づくりに終わらせず、芸どころ名古屋の文化と継承のシステムがあることもちゃんと伝えなければいけません。そういう大事なところが抜け落ちないようにすることも意識しています。2023年からは「やっとかめ文化祭DOORS」と名称を変え、さらに若い人たちを巻き込むようなやり方を模索しているところです。

 

名古屋城のプロジェクトにも「まちの原点にふさわしい」発信を

この「やっとかめ」の延長のような形で、名古屋城の一連のプロジェクトに関わるようになりました。2018年の「文化発信プログラム」では、城内で詩の朗読や現代音楽を組み合わせたパフォーマンスなどを企画。翌年にはWEBサイトのリニューアルを任され、やがて年間イベントも引き受けるようになりました。

 

 

以前は名古屋城が歴史や文化とは縁のないイベント会場や物販の場になることが多々あったようです。でも、名古屋城は文化財であり、名古屋のまちの原点。キッチンカーを出すにしても、ちゃんと地域の食材にこだわり、櫓などを組むときには地元産材を使おうなどと呼び掛けました。
2022年には「秋の夜間特別公開」としてクリエイティブチームのPERIMETRONと組んで光の演出や音楽ライブと食などを組み合わせたイベントを2週間開催。俳優の小泉今日子さんにお越しいただき朗読会を開くなど好評のうちに終了しました。翌年以降は、我々とは別のチームが手掛ける現代アートイベントとして発展しています。

 

 

名古屋での仕事は、人とつながりやすいことがメリットでもあり、デメリットでもあります。人とつながりやすいから、どんどん仕事が広がるメリットがある一方、手を抜けない面があり、特に公共的な事業やプロジェクトは無駄遣いができません。また、つながることで争い合ったり、つながった先で誰かを傷つけたりしているかもしれないので、私たちとしては基本的にコンペやプロポーザルには参加しないようにしています。

 

「答えがない」デザインの世界、好奇心のおもむくまま追求

出身は岡崎市ですが、もともと義務教育に疑問を持っていて、小学校でもみんなが校庭に遊びに出る放課(休み)の時間に、「別にみんなで行かなくていいじゃん」と思ってしまうようなタイプでした。中学校までは成績もめちゃくちゃで、先生に「お前は寮のある豊田の高専にでも行け」と言われて入ったら、やっぱりやる気が起きなくて2年生で留年。バイトをしながら、いわゆる「大検」で大学入学資格を取得し、どこかに進学しようかなと思っていたとき、いろいろやっていたバイト先の一つがデザイン事務所で、それが一つの転機となりました。
そのときに思ったのは、「デザインって答えがひとつじゃなくて難しいな」ということ。フライヤー一つをつくるにしても、背景のくみ取り方によっては文字の強弱や色の選択肢など無限にあります。だから自分ならこうすると、自分なりに納得のいく答えが出るまでやってみようというのがデザインの世界に入るきっかけになりました。

 

 

会社も、自分なら事務所をこうするという考えの延長で立ち上げました。でも当時から、デザインなんていつか単純に量産されてしまう気がしたんです。今ならAIが自動的にきれいなデザインをしてくれる感覚でしょう。そういう方向性とは違うデザインの使い方をしたいと思ってきました。

今の一連のプロジェクトは、そもそも仕事だからではなく、自分がやりたいと思うことをやっています。自分だったらこうするだろう、自分の役にも立つだろうと。自分が暮らしているまちのことだから関与しています。だから、お金がなくてもやりたいと思ったり、お金を積まれてもやらなかったりしてしまいます。仲間にはそれでよく怒られるのですが(笑)、今のところ一緒に働いてくれています。

 

写真:株式会社COUPGUT提供
*冒頭ポートレイト除く


 

公式サイト
https://www.coupgut.co.jp/