社会連携事例紹介
レビュー
まちづくり
2023.5.4
【2022年度助成レビュー】鷲尾友公デザイン研究室・企画 「三月のメロディ」
文:鈴木俊晴/豊田市美術館学芸員
2022年度に採択されたクリエイティブ・リンク・ナゴヤの助成事業のうち、「社会連携」をテーマにした助成A・助成Bの専門家によるレビューを、4回に渡りご紹介しています。3回目は鈴木俊晴さんによるレビューです。
【助成A】
助成事業名:鷲尾友公デザイン研究室・企画 「三月のメロディ」
実施者名:鷲尾友公
連携分野:観光・まちづくり
日時:2023年3月18日(土)
会場:名古屋市北区清水・大杉・杉村地区一帯
■鈴木俊晴 豊田市美術館 学芸員
いつも横を通っては、気になるけれど、中がどうなっているのかわからない場所。入りづらそうだけど、興味をひかれるお店。そんなところに入ってみるにはいい機会である。入ってすぐに出たくなったりもするかもしれない。意外と居心地がよくて近いうちにもういちど行ってみようと思ったりするかもしれない。
オープンスタジオとポップアップショップとキッチンカーとライブイベントと街歩きとスタンプラリー等々を組み合わせたこの催しは、たとえば国際芸術祭だったりの街中での美術の展示を、短時間で効率よく、忙しくめぐるような体験とはまったく違って、とにかくのんびり歩いて、出たり入ったりするのが不思議と心地いい。
車で流しているぶんには平凡に映る住宅街も、歩いているとちょっと違って見えてくることがある。名鉄瀬戸線の清水駅と尼ヶ坂駅の北側は古くからの街道と線路、そして名古屋随一の高級住宅街に囲まれた下町で、今となってはいささか間延びした住宅街感は否めないが、たとえばこの街には小さな書店が近くに二つ並んでいたりする。レコードショップだってある。そんな街はこの地方ではもうずいぶん少なくなっているはずだ。あるいは、あまり見かけないような小さな立ち食いの寿司屋がある(残念ながら食べられなかったけど)。
というように、そうした発見が楽しくてまずは歩いてみる。主催者である鷲尾友公さんのスタジオで地図をもらって出発、最初の目的地でまずはカレーを食べてから、次の目的地でコロッケを食べ、そこで配布されている別の地図に載っているけどこのイベントの目的地としては参加していない店で豚汁を食べ、さらにその向かいのコメダでコーヒーを飲んで、魚屋を物色しているとすぐに数時間たっている。行程としてはぜんぜん進んでいない。どうしてもこれを見なきゃとか、このライブだけは聴かないと、というような強い動機みたいなものはこちらにはないので、とりあえず歩いている。と、ほとんど廃墟といっていいようなかつての市場にポップアップが並んでいたり、その横で本気の肉屋がまだ営業していたり、さらにその隣では空家に古着が申し訳程度に並んでいて、これからここに出店する予定でその準備しているところだという。
鷲尾さんがサブスペースとして使っている倉庫もずっと何かしらの作業が続いていて(当日の日中に鷲尾さんが展示作業をしていた。イベント当日なのに)、お店でもプロジェクトでも、始めるならばきちっとやらなきゃ、みたいな謎の強迫観念に囚われている自分の了見の狭さをちょっと反省したりする。古着屋も旧市場も倉庫もみんな、日がななにかが進行している。子どもが成長するところや、植物が伸びたりするのを見るのが自然と嬉しいように、街のなかでもなにかが芽生えつつある状況を見ることはどこか根源的に嬉しい。なんだか前向きな気持ちになっていると、通りから一歩入ったところの古民家に古本屋があったり、その隣で地元の芸大生が展示をしていたりする。ライブの歌声が聞こえてくる。ここに辿り着くまでにすでに数杯のビールを飲んだ。普段だったら入りづらいと思うだろうな、というところにもどんどん入った。アート教室でワークショップが開かれているところも勝手に見学した。
名古屋城の東側の、古くからの住宅街は、一昔前はおそらく自営業だったり小企業や町工場、職人の作業場が並ぶような街並みだったのだろう。その面影は歩いて回っているとなんとなくわかってくる。そこで家族連れや自転車に乗った小学生の一群とすれ違う。彼ら/彼女たちはなにかのイベントに向かっているのだろうか。ライブかもしれない、映画上映会かもしれない。あるいはとうぜん、このイベントとはまったく関係なく、違う目的に向かっているのかもしれない。夕飯を食べに出かけたりとか、駅に向かっていたりとか。そういった一つひとつが街への解像度をあげ、想像力を膨らませる。そこには美術とかアートとかいう大それた構えがあるわけではない。
むしろずっとつねに手を動かしている人が、鷲尾さんだけではなくて、彼のまわりにいろいろといる。たまたま集まってきたひと、このまちにもともといたひと。遊んでいるひと、働いているひと。たった1日だけのイベントではあるけれど、とうぜん準備にはより長い時間がかかっていて、そこで人々が行き交う。関係のあるひとも、ないひとも。そのようにして街が、資本や行政の論理ではなく、ジェントリフィケーションというにはいささかワイルドなあれこれを含めて、そしてちょっと近づき難いかもと思うようなところを少しだけのぞいてみるというようなことも含めて、動いているのは、そういうところを見られるのはとても大切なことだと思う。
(写真:STUDIO COM 三田村壮志)