【2023年度助成レビュー】廣田緑+Grafis Huru Hara+Leonhart Bartolomeus「飯田街道:聞き取りアートプロジェクト」文:服部浩之/キュレーター、東京藝術大学大学院准教授 | つながるコラム | クリエイティブ・リンク・ナゴヤ

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2024.4.12

【2023年度助成レビュー】廣田緑+Grafis Huru Hara+Leonhart Bartolomeus「飯田街道:聞き取りアートプロジェクト」
文:服部浩之/キュレーター、東京藝術大学大学院准教授

2023年度に採択されたクリエイティブ・リンク・ナゴヤの助成プログラムのうち、「社会連携」をテーマにした助成A・助成Bに採択された事業の模様を、4回に渡りご紹介します。第4回は服部浩之さんによるレビューです。

 

【助成A】
助成事業名:「飯田街道:聞き取りアートプロジェクト」
実施者名:廣田緑+Grafis Huru Hara+Leonhart Bartolomeus
連携分野:美術×国際交流・教育
期日:2024年2月~3月
会場:新栄のわ205、パルル 

 


有用芸術としての聞き取りアートプロジェクト

■服部浩之/キュレーター、東京藝術大学大学院准教授)

碁盤の目のような秩序立った構成の名古屋市中心街から斜めに走る飯田街道は決して大きな通りではないが、地図を眺めるうえでは目を引くものがある。今回のプロジェクトの対象エリアの新栄界隈からは少し外れるが飯田街道からそう遠くない場所に私の自宅はあり、日々の生活用品や食料の買い物から喫茶店に通ったりと飯田街道沿いのお店をよく利用している。街道沿いには比較的個人商店が多く、どこかのんびりした雰囲気もあって居心地がよいのだ。しかし飯田街道については、きっと飯田まで通じているのだろうと思いながらも、それ以上深く考えたことはなかった。

 

 

 

本プロジェクトは、名古屋を拠点とするアーティストでインドネシアに長く暮らした経験を持つインドネシア美術研究者であり文化人類学者でもある廣田緑が、コミュニティと深く関わるプロジェクトを得意とするレオナルド・バルトロメウス(Leonhard bartolomeus)をキュレーターに、ジャカルタを拠点として版画技術を用いた活動を展開するアーティスト集団グラフィス・フルハラ(Grafis Huru Hara/以下、GHH)をアーティストとして迎え、三者で実現したものだ。「グラフィックの叛乱(Riot of graphics)」を意味するグラフィス・フルハラという名称は、2012年にGHHメンバーが実施した展覧会のタイトルで、この展覧会を期に版画と真剣に向き合うようになった彼らはこれをグループ名とした。

大学時代から音楽活動にも取り組む廣田は新栄界隈のライブハウスに出入りしていたため、新栄や飯田街道にはかねてから馴染みがあった。プロジェクトの拠点となったパルルはカフェ・ショップ・イベントスペースをもつ様々な人が出入りする場[1]で、「聞き取り」という参加型の活動と相性がよい。キュレーターのバルトロメウスはかつてあいちトリエンナーレ2016にルアンルパのコアメンバーのひとりとして名古屋での滞在制作の経験があり[2]、廣田だけでなくバルトロメウスも名古屋の状況や都市構造をある程度把握している。

社会におけるコモンズとなる場をつくるようなパルルの自律した活動はバルトロメウスの実践[3]とも響き合うものがある。廣田はそんなことも意識して、バルトロメウスと企画するプロジェクトの活動拠点をパルルに定めたのだろう。そしてGHHは、ジャカルタでルアンルパ(ruangrupa)やセルム(Serrum)などとともにグッスクル(Gudskul)[4]というアートや表現を介した学びの場とプログラムを共同で運営する。GHHもやはり多様な人々が知識や経験を共有し、よりよい社会をともにつくるような活動を展開しているのだ。

つまり、パルルという活動帯・拠点が培ってきた自律した芸術実践の場(=インディペンデント・アートスペース)であり、地域内外の人々が交わる場(=コミュニティスペース)であり、社会的活動の場(=ソーシャルアクティビティ・ハブ)であり、学びと共有の場(=ラーニングコモンズ)であるという名古屋における唯一無二の性格と役割は、本プロジェクトのメンバーたちがそれぞれの活動を通じて大切にするコンセプトと共鳴し、このプロジェクトがパルルを拠点として実践される必然性につながっているのだ。

 

 

 

GHHが名古屋に滞在する約一ヶ月のあいだに飯田街道散策ツアー、版画ワークショップ、オープンスタジオ、トークイベントなど様々なかたちの参加の場を設け、飯田街道に関する人々の思い出やエピソードを収集していった。他者との対話や交流が生まれる場をつくり、それを楽しむことで、制作を進める。GHHと廣田は作品制作における役割を明確に分担している。廣田は主にリサーチを担当し、この地域に長く関わる語り部の話に登場する今はなくなってしまった場所について、飯田街道の成立から歴史的背景も辿るように文献調査を重ねていった。そして、街道自体の紹介、かつてあった新栄劇場や銭湯、公園内に存在した習字教室に関する語り部のエピソードを紹介しつつ、その調査結果をまとめるように新聞形式の瓦版を発行した。それだけでなく廣田はホストアーティストとして、プロジェクトのマネジメントやGHHのリサーチや制作の通訳や翻訳、自らの調査情報の共有など、多岐に渡る業務をこなし、本プロジェクトを支えた。

 

 

一方でGHHは、幾つもの複製技術を作品のコンセプトに応じて鮮やかに使い分ける。本展でも、シルクスクリーンにサイアノタイプ、リソグラフ印刷などを用いて多彩な作品を実現した。インドネシアではタリン・パデイ(Taring Padi)のように集団で木版画を制作する活動がよく知られている。昨年名古屋港で滞在制作を実施したパルルとも縁が深いマレーシアのサバ州を拠点とするアーティスト・コレクティブのパンクロック・スゥラップ(Pangrok Sulap)[5]もタリン・パディの影響を受け、やはり木版画を集団で制作する。彼らは自らの暮らす地域や民族のアイデンティティを大切にし、ある種の政治的主張を織り込むようなかたちでユーモアとアイロニーを交えた版画を展開する。彼らにとって集団で版画を制作することも大切で、彫ったり刷ったりを、メンバーだけでなくワークショップなども交えてたくさんの人と一緒に行う。音楽に合わせてみんなで踊りながら布や紙を踏んで版画を刷る行為は、街中を行進するのとは異なるが、ある種のデモ行為(デモンストレーション)とも言えるだろう。深刻で悲痛な訴えというより、版画を集団で制作すること自体を心底楽しむ態度が根幹にあり、その活動は多くの人を惹きつける。

集団で作ることの喜びや遊びの要素は、GHHの版画活動にも通底するものがある。ただ、この十数年で活動を本格化させた比較的若いアーティストたちの集団であるGHHは、コンピュータやタブレットによる描画に青年期から馴染んでおり、データとして描画したものや写真を用いて版画を展開することが多い。木版は彼らの主要媒体ではないのだ。飯田街道の過去・現在・未来を扱う本展では、時制と版画技法を対応させる興味深い方法を選んだ。例えば、《未来:飯田街道コミュニティビジョン》という作品は、このエリアで現在空き地となっている場所の将来を考える作品だ。抽出した空き地をどのようにしたいか人々のリクエストを募り、それをGHHがビジュアル化していくという。まだ見えない未来を描こうと試みるこの作品を、彼らは太陽光を用いてイメージを定着させるサイアノタイプ(=日光写真)の技法で出力した。かつてはいつか実現される建物の建築図面は光を当てることで線を描き出す青焼きという技法で印刷されたものだが、真っ青なサイアノタイプによる未来予想図は、まさに青図(=ブループリント)である。

一方で、《過去:Once Upon a Time》という語り部たちの話に度々登場する新栄劇場や大正湯、白山湯などかつてこの界隈にあった場所に関する記憶を呼び起こす作品は、布地にシルクスクリーンで定着される。時間とともに人の記憶から消えていくかもしれない現在はなくなってしまった場所は、一度定着すると水に濡れてもほとんど落ちないシルクスクリーンの技法でしっかりと定着する。地図や写真といった客観的情報に加えGHHが人々の語りを基に想像を交えて新たなイメージを描き出すことも重要だ。こういったものを消えないように定着させることは、場所に対する想いをもつ人々に対する敬意の表れでもある。

また、版画ワークショップで参加者がシルクスクリーンで刷った様々な版画は、このプロジェクト全体の過程をまとめるzineに内包され、リソグラフで定着される。リソは低価格で量産できる技法で、zineのように多部数を刷り多くの人に広めるような媒体に適している。今回、ワークショップ参加者にはひとり一部zineが配られたということなので、多くの他者とプロジェクトを共有するメディアとして、やはりこれも納得の選択だ。版画にこだわりつつも各版画技術の特性をよく理解したうえで作品に応じて技法を使い分けていくGHHの軽やかさは、インターネット普及以降の現代的な版表現の探求者ならではのものだ。

 

 

 

ところで、人類学者でもある廣田にとって「聞き取り」は学問研究に不可欠な手法で、これまでも主にインドネシアで聞き取りを重ね、大著を出版している[6]。もちろん多くのアーティストがリサーチの基本として聞き取りを行なっているし、アートに限らず聞き取ることは調査や研究の基本中の基本といえる。ただ、本プロジェクトは「聞き取り」そのものをタイトルに掲げ主題としているのが大きな特徴だ。学びや共有を重視するラーニング活動をその作品や企画の軸に据えるGHHやバルトロメウスも他者の声を聞くことを大切にしており、「聞き取り」は三者の基本姿勢をあらわす象徴的な行為だ。バルトロメウスが度々「アルテ・ウティル(有用芸術/ Arte Útil/ Useful Art)」[7]に言及するように、彼らは社会に直接的に働きかける有効な道具や技法としてアートを実践している。かつてウォルター・ベンヤミンはフラヌール(遊歩者)であることを推奨したが、彼らは聞き取りプロジェクトを介して様々な人と遊歩を実践する。そして、そこから人々を版画制作などの創作へと誘い協働的表現活動を展開することで、人々とともに街について考え、街と人、人と人の関係を結び直す。彼らは人々が街に対して具体的行動を起こす起爆剤となるべく、まずは人が声を発する機会を生み出すべく「聞き取り」に注力した。聞き取りを手がかりとした社会にとって直接的に有用であろうとする芸術実践は、人々の行動を後押しするのだ。

 

 

 

[1] パルルを含む新栄のわについては以下を参照。 https://nowanowa.org/space/parlwr

[2]あいちトリエンナーレ2016においてルアンルパは《ルル学校》というプロジェクトを展開。廣田はプロジェクトコーディネーターとして、著者はキュレーターとしてプロジェクトに携わった。アーティスト紹介ページ https://aichitriennale2010-2019.jp/2016/artist/ruangrupa.html 《ルル学校 》特設サイト https://ruruaichi.wordpress.com/

[3] バルトロメウスはYCAMで「クリクラボ―移動する教室」( https://www.ycam.jp/events/2021/kurikulab/ )、「The Flavour of Power─紛争、政治、倫理、歴史を通して食をどう捉えるか?」( https://www.ycam.jp/events/2023/the-flavour-of-power/ )、「あそべる図書館—Speculative Library」( https://www.ycam.jp/events/2023/speculative-library/ )などを企画。

[4] グッスクルについては以下を参照。 https://gudskul.art/en/about/

[5] パンクロック・スゥラップ「みんないっしょに名古屋港」 https://www.mat-nagoya.jp/exhibition/10898.html

[6] 廣田緑『協働と共生のネットワーク インドネシア現代美術の民族誌』(グラムブックス、2022年) http://grambooks.jp/hello-world/

[7] アーティストのタニア・ブルゲイラらが提唱する概念。詳細は以下を参照。 https://www.arte-util.org/about/colophon/