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2024.9.18
採択事業者インタビュー② おどり場「風景:みえる」
菜園の世話をしている円頓寺商店街の方と、おどり場の桂川大さん
クリエイティブ・リンク・ナゴヤでは昨年に続き2024年度も助成事業を実施いたします。そこで「社会連携活動助成」で採択された事業(助成A×5件、助成B×1件)を6回にわたってご紹介します。
社会連携活動助成A・Bの詳細はこちらをご覧ください。
第2回はおどり場の桂川大さんとエディトリアル・ディレクションを担当している春口滉平さん(山をおりる)にお話を伺いました。
■ 事業名 風景:みえる
■ 採択区分 社会連携活動助成A
■ 採択金額 ¥1,000,000
■ 実施者名 おどり場
■ 活動領域 美術、演劇、メディア芸術、文学
■ 連携先の分野 観光、まちづくり
■ 期日 2024年9月20日(金)~24日(火)
■ 会場 那古野・円頓寺商店街を中心としたエリア
【実施者プロフィール】
おどり場は、つくる“間”の仮設的な時間と空間を楽しむ運動体です。建築、彫刻、映像、写真、編集・デザインなど領域を横断した主体たちによって構成され、不確かな風景の現在を模索するための活動を展開しています。おどり場としてはじめての企画となる「風景:いる/みる/みえる」は、2023-2024年にかけて実施するリレー形式の鑑賞企画です。第3期の「風景:みえる」は「風景とはなにか?」「鑑賞の場とはなにか?」をテーマに、参加作家は応答を試みます。
―――今回の事業の概要をあらためてお教えください。
桂川 今回助成に採択されたのは、昨年から継続して実施しているリレー形式の鑑賞企画「風景:いる/みる/みえる」の第3期「風景:みえる」という展覧会です。那古野のまちづくり協議会や、円頓寺商店街と共催で、自分たちの表現はもちろん、来場者の方にあらためて「まち」や「まちに纏わるものの風景」を鑑賞してもらいます。展示された作品だけでなく、まちを含めて鑑賞者に体験してもらうことになります。 専門の表現分野が異なる20代から30代前半の出展作家とともに、仮設的なアーティスト・ラン・スペースのような形で自分たちが表現する場所を作っていきながら、それをまちとともにどう見てもらえるかを考えました。その2つは切り離せない関係にあるのです。今回は風景をテーマに制作している作家の方々をキュレーションしているのですが、風景を扱うことは自ずとまちを見ることであり、「表現」と「まち」のどちらも大事にしている企画になっております。
おどり場 桂川大さん
春口 コンセプトが複雑なところもあるのですが、鑑賞とは何かと風景とは何かの両方が走っていて、最初に展示を作ろうと作家の人たちと議論していくなかで、まずその「風景とは何か」の定義がそもそもできないというか、定義自体が移ろいゆくものだという共通の認識がありました。風景についての作品を展示するのではなく、一度展示して、それを踏まえた上で、認識がどう変わっていくかという過程も含めて展示しなければ意味がないのではないかという話の流れで、会期が分かれました。その1回目と2回目の展示をつなぐという意味も込めて、その間の変化の過程を追うものとして、図録が第2期の展示であるというたてつけになりました。
第2期となる図録では、第1期にて展示した内容や、どのような展覧会にしたかというアーカイブ的なコンテンツもありますが、その間に作家の方たちが、例えば第3期の展示に向けてのリサーチ内容をコンテンツにしている方もいらっしゃいますし、必ずしも第3期の展示内容に直接関係しているものではないのですけど、その変化をどうやって追ってアーカイブするか、というのが趣旨になります。
―――今回の展覧会ではどのような作家、どのようなテーマで展示が行われますか。
桂川 建築、彫刻、写真、映像、演劇、編集デザインといった6つの分野それぞれの表現媒体を持っている人たちが集まっていて、ともに運営していくというか、そういうスペースを作っていくことになりました。
もともと自然に集まっていた輪のようなものがあって、例えば「山をおりる」の2人はかなり前から一緒に仕事もしていますし、こういうテーマで一緒にやらないかと誘いました。僕は人を誘うのが本当に苦手で、直接な言葉よりは、何か一緒に体験した方が強烈かなというのもあり、作家の一人と一緒に川へ行ったり、遠くへ人に会いに行ったり一緒に歩いたり、何かをしながら、展示についての考えを共有していきました。僕は元々建築を専門とはしてきましたし、キュレーションをゴリゴリにやっている人ではなく、逆にアンチキュレーションというか、もうちょっと一緒に地面を踏む感じで空間や時間を一緒につくっていきたいと考えていました。
春口 桂川さんが建築学会のメディアで展覧会の会場の構成についての連載*をされていたのは知っていて、僕もバックグラウンドは建築なので、その内容も読んでいました。今回のテーマが「鑑賞とは何か」になったのは、桂川さんが展覧会の会場を作る建築家として鑑賞とは何かというところに興味があったからだと思います。
* 日本建築学会のウェブマガジン「建築討論」にて連載。全6回。山川陸との共同執筆。タイトルは「会場を構成する──経験的思考のプラクティス」。連載記事一覧はこちら。
―――ガイダンスセンターを設置するとのことですが、どのような役割を担い、実際に何を行うのでしょうか。
桂川 作品だけでなく、まちのエリア全体を含めて見ていくというなかで、どのように鑑賞をガイドしていくのが必要か、そのような場所があるといいなと考えたのが一番です。実際にそのような場所が将来的にできたらめっちゃ面白いんじゃないかなと勝手に思っていて、ただのフラットな観光案内所ではなく、そこのまちで生きている人が案内するとか、ある種私設で紹介するスペースのほうが面白いなと。ガイダンスセンターを運営すること自体がパフォーマンスであり、「山をおりる」さんの作品でもあります。
春口 一般にガイダンスはあらかじめ作家やキュレーターによって想定されたものが用意されていますがそういうものではない開かれた鑑賞というのが可能だろうと思っています。そこで自分たちの「展示」としてガイダンスセンターをやって、一つの見方ではない自由な鑑賞を生み出そうということで着想しました。
ガイダンスは4つあり、まず我々の運動体「おどり場」のガイダンス、次に今回の「風景:みえる」という展覧会全体についてのガイダンス。また、展示エリアである那古野エリア自体のガイダンスは、単一の鑑賞のあり方だけを押し付けるようなものでなく、ガイダンスに沿って体験してみることで、複数の解釈が実はできるということを後から気付けるようなものになればいいなと思っています。最後が図録のガイダンスで、図録の読者も鑑賞者にあたるので、読者が図録の制作に間接的に関わる機会が作れたらいいなと思っています。
この場所は、円頓寺商店街に入ったところにある糸重さんで、展覧会でいうと入り口にあたる場所です。
―――那古野エリアの魅力をお教えください。また、今回の企画では地元企業や商店街とどのような関わりがありますか。
桂川 僕にとっては四間道も含めて江戸時代から持っている歴史を積み重ねてきた那古野っていうよりは、それ以上に今現在生きている、しっかり自分たちのポリシーを持って活動されている人たちがいて、そういう方々に相談しやすい状況っていうのはすごく大きいと思っています。一方で、今回は表だったものをただ見せるという観光ではない、見えてない日々の淡々とした暮らしとか見えるといいなという伏線を考えています。大きなシステムを動かしている目立ったプレイヤーというよりは、商店街とか地元企業との関わりにもつながる話かなと思っています。
昭和の佇まいが魅力的な下町情緒あふれる円頓寺商店街
―――空き家活用をはじめとして、まちなかで事業を展開するとのことですが、まちづくりに対してどのような意識をお持ちでしょうか。
桂川 個人がいかにまちと一緒に何かできるかとか、まちを変えられるかとか、変えられないとかでもいいのですけど、そういう事業を自分ごととしてできるっていう感覚が一番いいなと思っています。ほかでまちづくりされている方も仰っているかもしれないですけど、空き家活用やその改修(リノベーション)は、活用自体を目的としてはないと思うのですよね。多分それを方法として、それぞれのまちで何をしたいかっていうことを突き詰めていくことが多分一番重要なのだと思うのです。リノベーションというよりはカルティベイトの考え方で、僕たちとしてはまずは仮設的に実践してみる。そして地域へ問いながら土を耕して、どう芽をつむいで残していく土壌をつくっていくか、に近い気がする。
―――「美術作品の鑑賞方法を問い直す」とのことですが、この展覧会でやりたいことは何でしょうか。
桂川 展覧会でやったことを通してどうしていきたいか、どう続けていくのかとか、そういうことの方にいまの僕は意識が向いています。すでにある円頓寺の風景をしっかり見せる形にしていくっていうのは終わってからも続いていくわけですよね。例えば、今回を機に開店するブックショップは会期後もずっと続いていくし。僕たちの純粋な気持ちとしては小さくてもいいので文化芸術の拠点を残していく、続けていくにはどうしたらいいかというのを問い続けています。
固定した場所をいきなり作らないとか、そういうのも大事だなと思っていたので、その振る舞い方は非常に意識しているところです。
話がそれますが、僕は中学生の時とかにあった屋外階段のおどり場が大好きで、それが今回の団体名の由来にもなっています。人が入り口開けても人がすぐ来ることもなくて、自分の空間になっているというか、誰でも来れるけど、でもそこに中間としての場所がずっとある感じがします。あと、おどり場の由来で「ダンスホール」の意味もあるので、そこで振る舞ったりとか、踊るみたいな、そこが一時的な舞台でもある感じがある。
名古屋も、東京から京都にみんな行っちゃうなかなか滞在してくれない場所で、自分たちもどっちかというといるっていうよりは交通拠点っぽさもある。でもいい具合に中間的な場所にもなっているし、こうやって自分たちの個人の活動がしやすい面もありますね。
おどり場 桂川大さん
―――今回、助成を受けたことでプロジェクトに変化はありましたか?
桂川 もともとこのプロジェクトが個人的なベクトルがたくさん出ていて、クローズドになりやすいなと思っていて、第1弾の「風景:いる」の時も来場者の半分以上は県外、東京とか京都から来ている人で、名古屋の人は意外と少なかったのです。今回は公共性を持たせる名古屋、愛知の方々にも周知される運動体になるんじゃないかと、それが一番大きいかなと思っています。あとは名古屋市やまちづくり協議会との連携をより強められたりとか、名古屋市民の方々に周知することができた。僕らだけだとアイデアの出ないチラシの配架場所など、自分たちでできないことがたくさんあったので、企画の公共性をより担保していくには非常に大きかったし、すでにそれは起きています。
クリエイティブ・リンク・ナゴヤの助成がひとつの大きいクレジットで、それによって協力してくれる方ってやっぱりいらっしゃるのですよね。商店街のアーケードの利用も自分たちだけでは正直、言えなかったと思います。助成決定のあとの7月初旬以降の動きって、それまでと全然違うというか、プロジェクトとしての開き方っていうところで大きく変化していますね。
他の人と何かを共有することって結構難しい、具体的な話がないと伝わらないじゃないですか。例えばそこ一緒に歩いたことがあるとか、そういう場合って共有しやすいですよね。全く那古野を知らない人に「円頓寺商店街のあそこの公園の菜園で」とか言っても全然ピンとこないですよね。そういう風景を共有すること、一緒に何かを共有すること自体が、公共性につながるんじゃないかっていう。そういうコミュニケーションが地域だったり、商店だったりとできていると思いますね。あとは、ある種自分たちも演じている部分があるのです。「クリエイティブ・リンク・ナゴヤさんに言っちゃったー、これ、本当に申請が通ったらやるか」くらいで、そのエンジンをもらった感じはしますね。
チケットの代わりとなる図録は、鑑賞者が持ち歩くことでまちの風景となる
結構商店街の人もポジティブで「こんなことやるんですか」という風になってるのですけど、逆に「これやったら僕たちもこういうことできそうだね」とか言ってくださって。意外とよく見ると、既に行われているパリ祭や七夕祭りも攻めている部分があるのですけど、そういう攻めていきたい感じがすごく伝わっていて。やり取りする中で円頓寺に本屋が一つも無いのはなぜかというのを、まちづくり協議会や住んでいる方々もハッとしてしまう瞬間があって、そういうことをちゃんと受け入れてくれるというか。
今後も文化芸術の空間をより多発させていく、それを固定させないで流動させていく、そういう場所が色々できてくるといいかなと思っています。若いひとたちのアーティスト・ラン・スペースにして、しっかり自分のキャリアアップにしてほしいという気持ちもあるので、なるべく早く彼らのクレジットにしてもらいたいという気持ちがある。2つ目ができたら1つ目を渡していくとか、そういう段階的に色んな場所ができてくる。短期間でいいんじゃないかなという気持ちもありまして、それは簡単に実現しないと思うのですけど。今もう20代前半の方も関わってもらっていますし、長期的にこの動きに連携してくれると嬉しいです。
今回もサポーターだったり、ボランティアだったりという形で10名前後の方がいらっしゃいますけど、そういう方も関心がある方が多いので、担い手やフォロワーを育てていくことも続けていく上では重要だなと感じています。先週ちょうどボランティア運営講座を開催したのですけど、すでに面白いなっていう人が来てくれていて、文化人類学や文学、建築、デザインからふだんは役所に勤める方まで幅広い芸術に関心のある面白い方々が多くいらっしゃいます。広く言えばそういう公共性が生まれてくるようになったなという風に思っています。