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2025.1.30
【レビュー】かなやまじんくらぶ
文:宮﨑正嗣/中日新聞教育報道部
撮影:三浦知也
【かなまじんくらぶ】
活動期間:2024年6月~11月
会場:金山エリア各所
参加アーティスト:一〇六印刷団〈山口麻加(版画家)、嶋崎出(印刷家)〉、河部圭佑(建築家)
企画監修:服部浩之
情報ページ:アートリンク金山公式ウェブサイト
■ 宮﨑正嗣 中日新聞教育報道部
金山を歩き、刻む。
「かなやまじんくらぶ」を振り返って
乗り換えによく使うけれど、下車して歩くことはそれほど多くない街。
名古屋の盛り場の1つ、「金山」を一言で説明するのは難しい。冒頭の要約に果たしてどれだけの人が共感してくれるか。熱田区の南部を住まいとする筆者のメンタルマップ上に金山をマッピングすると、熱田神宮界隈から歩くには少し遠い(そして道中は少し退屈)という言葉が加わる。こちらはある程度分かってもらえるだろうか。
筆者が「オブザーバー」として見学させてもらった「かなやまじんくらぶ」は、参加者12人が金山の街を歩き、地元に関わる人を訪ねながら、金山の「過去・現在・未来」を発信するZINE(ジン)の制作を目的としたアートプロジェクトだ。
なぜ金山なのだろう。この街にはJRと名鉄、そして地下鉄が一体となった大きな駅があり、商業施設「アスナル金山」があり(高校生の頃はバスの停車場だった記憶がある)、コンサートホールがある。そして以前は名古屋ボストン美術館があった。金山のランドマークとして通用する(通用した)施設はこのあたりだろう。そしておそらくそれ以外を挙げるとなると、10人中、10人が異なった施設や店舗、光景を挙げるのではないか。金山は多彩な側面をもった街であると同時に、特色が見えにくい街、「つかみどころのない」街ということが言えるのかもしれない。
プロジェクトの背景を理解するために、現在進行中の名古屋市の都市計画に簡単にも触れておこう。金山総合駅の北側には現在、名古屋フィルハーモニー交響楽団の拠点にもなっているNiterra日本特殊陶業市民会館がある。市は今後、2035年度までに駅に隣接するアスナル金山と古沢公園、市民会館を含めた一帯を再整備し、新たな複合施設を設けて文化ホールも設置するという。実現した場合、金山の景観と人の流れは劇的に変化する可能性が高い。「かなやまじんくらぶ」には街を舞台にした芸術表現はもちろんのこと、いずれ消えゆく街の記憶を記録するという意義があったことを強調しておきたい。
失われていく街の姿。再開発で見過ごされがちな「歩行者」の視点。これまでの開発の中で変わったことと変わらなかったこと。「かなやまじんくらぶ」で過去と現在の金山を記録し、未来を開く営みに、「歩くこと」は不可欠だった。リサーチやフィールドワークではあまりに当たり前のことかもしれないけれど、自動車交通(それもマイカー)を中心に膨張する名古屋という都市空間において、「歩くこと」は単なる移動にとどまらない、意識的な行為にならざるをえない、と私は思う。地下道や地下街が発達しているために名駅や栄ですら町並みを眺めながら街路を歩く、という機会は限定的だ。南北に伏見通と大津通、東西に八熊通が貫く金山の街は、鉄道のみならず自動車でもアクセスがしやすいエリアになっている。多くの人にとって金山の日常風景は、鉄道もしくは自動車の速度と視点で作り上げられてしまっているのではないか。参加者全員での街のリサーチでは、かつて路面電車が通っていた時代に賑わった沢上商店街はじめ、自動車での移動では目的地にすることは少ないであろう場所を巡り、人と出会い、雑木や街路樹を眺める。プロジェクトの開始後、参加者には金山の街のお気に入りスポットを見つけるという宿題が課された。普段は何気なく通り過ぎていく駅構内でも街路でも一歩身を引き、感覚を研ぎ澄ました観察者になった。
さて、「かなやまじんくらぶ」の参加アーティストは印刷を専門とする嶋崎出、版画家の山口麻加からなる「一〇六印刷団」と、インスタレーション作品なども発表している建築家、河部圭佑の3人。一〇六印刷団の2人は手軽な版画と写真の技法を駆使して、金山の多彩な表情をZINEという紙媒体に封じ込め、刻印しようとした。
山口が取り組んだのは、紙の上に被写体を置き、その形を写し取る「サイアノタイプ」という、版画に近い原始的な写真技法だった。写し取ったのは、金山の街で見つけた「植物」のシルエット。拾った場所が刻印された、標本的な写真もあれば、葉に穴をあけて(?)顔に見立てた写真もある。この手法の先駆者であった英国の植物学者アンナ・アトキンス(1799-1871年)にとって、制作はあくまで植物研究の一環だったとのことだが、「かなやまじんくらぶ」では街の豊かな植物の存在と、観察者の個人的な記憶や経験を結びつける、創造的な行為にみえた。
撮影:三浦知也
嶋崎の制作からは、シルクスクリーンによる多色刷りを紹介したい。シルクスクリーンを取り入れた意図を、嶋崎は「グラフティーが少ない街だから、金山の街に色を入れたら面白いと思った」と教えてくれた。「色」を金山の街の「特色」と言い換えても、きっと差し支えないだろう。各参加者が撮影した金山の風景に色が刷られることで、金山のイメージは瞬時に塗り替えられる。参加者の作品を同時に見たとき、街の抱え込んでいたエネルギーが解き放たれたような感覚になった。そして、これは金山に限らないのだろうが、現代の日本の都市空間の風景には意外に「色」が少ないことに気づかされる。
河部は都市空間に着目したリサーチで、金山という街の特色を浮かび上がらせてくれた。
道路や鉄道、公園といった公的な空間、そして商業施設や住宅、工場などの私的な空間とは別に、公的な空間でも私的な空間でもない空間を「グレーゾーン」と名付け、エリア内の140カ所をマッピングした(この「グレーゾ-ン」とはおそらく、哲学者ハンナ・アーレントが「無人地帯」と呼び、建築家の山本理顕が「閾」と呼ぶ空間のことだろう)。「グレーゾーン」は、実際には所有者が存在しているが、公共に「開かれた」場所にもなっていて、音楽活動をしている人もいれば、移動販売をしている人もいる。河部によると、戦後の復興で完全な碁盤状に街が築かれた栄一帯と比べ、複雑な町割りが残っている金山では「グレーゾーン」が相対的に多く、そのことが金山という街の「懐の深さ」につながっているのではないかという。「懐の深さ」は、良くも悪くも、街の可能性の大きさでもある。
河部は建築家らしく、「アイソメトリック図」(等角投影図)という技法をZINE制作に取り入れた。参加者はお気に入りの場所を、河部がプロジェクトのために用意したという方眼紙に、立体的な形態として描写した。参加者が見たものが単なるオブジェやサインではなく、都市空間の一部だと認識するのに役立ったはずだ。
3人の指導によりできあがった版画(写真)とドキュメントは、ZINEの素材になると同時に、いわゆる参加者それぞれの作品として複製された。3つに分かれた各グループでは、19世紀末にメキシコで流行した、大衆向けのニュースを載せた一枚刷りの新聞「オハ」に倣った印刷物を制作した。版画ならではの素朴な線と、鮮度の高い地域の情報。19世紀、都市空間を一気に変貌させた交通機関は鉄道だった。鉄道を中心に発展した街のできごとを、19世紀に発達したメディアで伝えるというのもまた、金山の歴史をなぞっているようで味わい深かった。
撮影:三浦知也
新たな複合施設ができるのはおよそ10年後。そのとき、ZINEを読むと、どんな発見があるだろう。
『アメリカ大都市の死と生』で知られるジャーナリスト、ジェイン・ジェイコブス(1916-2006年)によると、都市の多様性の条件は「高密度」なのだという。そしてその多様性の実現にはトップダウン的な都市計画ではなく、民間によるボトムアップ的な計画(「自生的デザイン」)が必要だと説いた。戦後復興以来、トップダウン的な都市改造を重ねてきた名古屋市において、ジェイコブスの言う高密度な都市空間でボトムアップ的な活動が展開している数少ないエリアが、まさに金山ではないだろうか。「かなやまじんくらぶ」ですくい上げられた何でもない風景もまた、この街の魅力になる。プロジェクトに刻まれた過去と今、未来の金山を、ぜひとも新しい街作りに生かしてほしいと願っている。
撮影:三浦知也
■ かなやまじんくらぶ活動報告もあわせてご覧ください。