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2025.12.11
【2025年度助成レビュー】Communis「Let It Green!」文:金井直(信州大学教授)

クリエイティブ・リンク・ナゴヤの2025年度助成プログラムのうち、「社会連携活動助成」で採択された事業の模様を、6回に渡ってご紹介します。第1回は金井直さんによるレビューです。
【社会連携活動助成A】
事業名|「Let It Green!」
採択者名|Communis
活動領域|まちづくり
連携先の分野|美術、造園
実施日・会場|2025年10月4日(土)〜26日(日)の土日 円頓寺商店街「旅する木陰」ベースキャンプ、SLOW ART LAB ほか、名古屋駅・栄・納屋橋など名古屋市内各所
公式ウェブサイト|Let It Green! / Instagram|@letitgreen2025
■ 金井直 信州大学教授
旅する木陰を/と歩く 〜Communisの実践と可能性〜
Communisは「都市の緑」をテーマに建築家やアーティスト、造園家が協働するアートプロジェクトである。2024年度は「Plant It Green!」と題して、映画『動いている庭』上映会や、アーティストや庭園研究者によるシンポジウムなど、さまざまなプログラムを進め、自然と人為、公と私のあいだを結ぶ、庭のあり方を学んできた。今年度の「Let It Green!」は、言わばその実践編。「ツーリズム」に「グリーン」と「アート」を融合させた「都市の緑を考える」アートプロジェクトとして、ワークショップや街歩き、マルシェなどを展開し、都市景観や環境を捉え直す試みが進められた。私は10月4日、その初回ワークショップに参加した。


会場は円頓寺商店街の一角ということで、さて、どこかしらと歩いていると、早速、樹木を植え込んだ6台のリヤカーが並ぶ、ちょっと不思議な光景に出くわした。これがGreen Caravan(緑の隊商)の中心をなす「旅する木陰」だ。まわりにはすでにCommunisの矢田義典さんや道家洋さん、⽻柴順弘さん、ボランティアのみなさん等々が勢揃い。雨模様の空も気にせず、まずはみんなでリヤカーに様々な植物を植え込んで、色とりどりの庭を作ってみる。これが楽しい。時々、園芸の専門家、糟谷護さんからのアドバイスというか絶妙の講評?が入り、ますます賑やかに。やがて完成した植物満載のリヤカーを、今度はみんなで引いてみる(けっこう重かった…)。キャラヴァンよろしく隊列を組んで商店街を進めば、それはまさに「動いている庭」で、アーケードはそよぐ緑に彩られ、通りがかりの人々もみな笑顔に。加えて、わっと歓声も聞こえるのだが、これは隊列に加わった「Coかげぼうし」のおかげだ。簡単に言えば、4人でかぶる(日陰を分かち合うための)帽子なのだけれど、そのちぐはぐな一体感が想像以上に楽しい。私は蛸の足になった気分でふらふらしながら、他の6本の足(=3人のみなさん)とつながった。アーティストユニット「サンニン」(今村哲さん、染谷亜里可さん、鋤柄ふくみさん)の快作だ。「サンニン」は、この日はさらにTシャツに絵や文字を版で押すワークショップも手掛けて、イベントにつくる喜びを添えていた。


「旅する木陰」&「Coかげぼうし」は、後日、久屋大通、栄などにも展開し、各所盛況であったらしい。プロジェクトの最終的な参加人数は1000人を超えたようだ。
さて、「旅する木陰」や「Coかげぼうし」が呼び覚ますもの、呼びかけることはなんだろうか。Communisとしては、まずは人々の緑への関心をかきたてたいということだったようだ。背景には深刻な気候変動・地球温暖化問題がある。パリ協定は、産業革命前からの世界の気温上昇を1.5℃に抑えることを目標に掲げたが、その達成には温室効果ガスの排出量を2030年までに45%削減し、2050年までにネットゼロ、つまり排出量と吸収量を等しい状態にする必要がある。が、その実現は極めて困難だ。国連環境計画によれば2024年の世界の排出量は前年比2.3%増で過去最多。パリ協定の目標達成には程遠い現実にわたしたちは直面している。とはいえ/だからこそ、具体的な実践があらためて求められよう。都市の緑を増やし、樹冠被覆率を高めることが有効な実践のひとつであることは、今年度のCommunisのセミナーでも確認されたが、その緑化のイメージを共有する方法として、このたびはアーティスティックな想像力が活用されたわけである(「動いている庭」から「動かす庭」へ)。「旅する木陰」がもたらした観点変更は、現状認識の起点となり(さすがに「白い町」とは思わないが、名古屋の緑陰は今も限られている)、さらには今後の実践の拠り所ともなるだろう。

ところで、庭や緑と関わるもうひとつの重要性は、矢田さんも語るように、それが社会的共通資本(コモンズ)について考えるための、格好のモデルを提供することだ。経済学者、宇沢弘文の「公共財と自由財の境界に位置するものを庭としてとらえる」という言葉は端的にこのことに触れていて、Communisの活動を強く支えている。要は公的・私的な所有者・管理者に判断を託し、他人事にすることなく、人々が一緒に眺め、感じ、考え、行動することで、問題も可能性も共有できる場を確保することである。その場こそ庭なのではないか。当座の権利関係の有無に還元・解消されない、この水平な意思疎通の場が、さらに未来に開かれるとすれば、世代間倫理の視点も加わって、持続可能性への問いともいっそう強く結びつく。上記の気候変動への関心もここにつながるはずだ。
もちろん、実際の庭園や公園を、一気に水平な意思疎通の場として開くというのも単純・短絡で、場合によってはディスコミュニケーションの種になりかねない。だからこそ、既存の所有・管理のルールをいったん外して考える試みとして、「旅する木陰」による庭のキャラヴァン/モバイル化は非常に有効であったと思う。さらに言えば、「旅する木陰」が通ることで、町の一角が次々と庭化していくような場の雰囲気の変化も忘れられない。ちょうど神社の山車や神輿の移動が都市を聖なる空間に変えるように、行き交う「旅する木陰」が街に庭をふりまいていたのだ。

Communisの活動を通して感じたことは、庭との付き合い方、庭での人・物・事との出会い方は、そのまま都市との付き合い方、都市での出会い方へと拡張可能ではないか、ということである。そうした意識・感覚は、さらに地球との付き合い方、地球規模での出会い方にもつながっていくだろう。アートの想像力は常にローカルに発現しつつ、大きく未来を変え、支えていく。その可能性を強く感じさせるプロジェクトであった。

(写真:相模友士郎)
■ Communis への事前取材記事もあわせてご覧ください。