調査研究
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音楽
2026.3.2
【調査研究】名古屋の文化芸術を支える人たち vol.9 西野裕之さん

名古屋で鑑賞できる美術、音楽、演劇などの文化芸術に関連し、美術家、演奏家、舞踊家などの表現者や、美術館、文化施設、教育機関の企画者などに関する記事等は数多くありますが、イベントやプロジェクトを支えるマネジメントの担い手の紹介はそれにくらべると多くはありません。本調査では現在、名古屋の重要なプレーヤーとなっている方々の経験談から、文化芸術活動へのヒントを発見していただければと思います。
第9回 インタビュー: 西野裕之さん

撮影:リア制作室
<プロフィール>
愛知県瀬戸市生まれ。音楽教室・学習塾のアルバイトから出発。2007年、開館間もない宗次ホールに参加し、地道な集客からランチタイムコンサートをはじめとする公演企画、コンクール運営など若手音楽家支援も手掛ける。2022年公益財団法人かすがい市民文化財団に移籍、学校、幼稚園、保育園、福祉施設等でのアウトリーチやロビーコンサートの企画に注力した。現在は、支配人としてしらかわホールの再開に向けて奮闘中。
<職種紹介>
音楽ホールの企画制作。音楽ホールの現場で、コンサートの集客と収支のバランスを取る仕事。公演の企画制作、演奏者との打ち合わせ、プログラム考案やロビー等の演出、広報、学校でのアウトリーチ、コンクール運営や楽器貸与による若手支援など。
支配人としては、現場スタッフの統括、事業と施設管理それぞれの計画立案、スポンサーやファンドレイジングの検討など、ホール運営を継続させるための仕組み作りに取り組んでいる。
教えてくれる人がいない現場で、手探りの日々
名古屋を拠点にしながら、複数のプロジェクトに取り組んでいます。
何か輝かしいキャリアがあるわけではなくて、私がこの業界に入ってきたのは本当に単なる偶然なんです。当時の私は東京の大学に進学し、所属した吹奏楽サークルをきっかけに指揮法を習っていたんです。齋藤秀雄門下による音楽教室なんですが、付随する形で学習塾を立ち上げることになり、開業を手伝ったり子供に勉強を教えたりしているうちに面白くなって、大学を中退して路頭に迷っていた時期でした。
実家の父から「名古屋に新しいホールができるらしいよ」と聞いて、面接に行ったらいきなりオーナーの宗次德二さんにお会いして「君か!いつから来られるの?」って。宗次ホールのオープンは2007年3月29日で、面接は4月、東京での暮らしを片付けてやって来たのが6月、27歳になる年でしたね。
最初の3ヶ月は本当に雑用ばかり。“サンドイッチマン”をやったり地下鉄の出口でチラシ配りをしたり…ホールが新しくできたけどなかなかお客さんが来ないから必死でした。オーナーの宗次さんは、「暮らしのなかにクラシック」を掲げ、もっとクラシックを身近なものにしたいと、それまでの業界の常識では考えられないようなアイディアを次々と現場に投下していました。例えば今でこそ活況なランチタイムコンサートも、その当時はほとんど実施されていませんでした。ですから、最初期の立ち上げメンバーにいた業界経験者との軋轢もありました。一方私は全く経験がなかったし、他に行くところもない。3か月目に企画担当をされていたベテランさんが辞めたあとを継いで、気が付いたら企画担当者になっていました。
年間400公演!? 独自企画とネットワークの広がり
最初に良いなと思ったのはコンクールですね。若い方がピュアな気持ちで競い合い、お客さんも応援してくれる。コンクールに携わると“日々、収支の数字に追われるストレスから切り離されて”救われる感じがありました。若い演奏家が成長していくのを目の当たりにできたのはすごく良かったなと思いますね。宗次さんの方針で楽器貸与など若手支援の機会も多かった。
スタッフも増えて分担できるようになりましたが、最多で年400公演とかやってましたね。そのうち250~300公演はランチタイムコンサートのように、地元アーティストに場を提供するタイプのもので、ホールに新たなお客様を呼び込む効果をもたらしました。
企画制作ってこういうことなんだなと意識したのは2010年の名古屋開府400年パートナーシップ事業『尾張徳川家の歴史でたどるクラシック音楽』シリーズ(7公演)ですね。徳川美術館さんと連携して歴史を絡めた演出、ロビーで販売する限定和菓子なども考えました。第1回はレプリカの《長篠合戦図屏風》を舞台に置いて、秀吉や信長が聴いた南蛮渡来の音楽を演奏するという形に。最後は明治になって徳川義親さん、スズキ・メソードの創始者・鈴木鎮一さんと父でバイオリン製作者の政吉さんという鈴木親子の名古屋のものづくりと、日本人バイオリニストがどんどん海外進出する礎になった才能教育研究会の話。義親さんは鎮一さんのベルリン留学を支援したんですよ。私は3年目で、外部と協働して音楽会を作る経験が大きな学びでした。何にも知らなかったですから、本当に。
提供:宗次ホール
2013~14年頃から東海三県の文化施設の音楽担当者有志による交流会「音楽の壺」が立ち上がりました。この地域はホール同士の連携が濃く、情報交換だけでなく企画の紹介や調整をざっくばらんにできる点が全国的にもユニーク、協力し合って公演を形にするネットワークがあるんですよ。ほかのホールの方々と交流することによって、自分の職場のホールの強みや弱みを客観視できるようになったことは大きな学びでした。
コンサートの制作費は、チケットの収入で賄うのが原則。チケットが売れなければ赤字です。宗次ホールは公的な支援を受けない民間運営でしたので、いかに社会貢献とはいえシビアでした。それにお金の話以前に、演奏家を舞台に送り出すときに客席がスッカラカンだと居たたまれない。演奏が素晴らしければ客が増えるわけではなく、逆に素晴らしいほど集まらないこともある。少ないお客さんが一生懸命拍手してくれるのは感動的だけど、それだけでは続けられない。どうやって状況を変えるかが常に課題でした。
コロナ禍、宗次ホールは他館に先駆けて再開しました。チューニングの「ラ」の音が鳴るだけでこんなに心に響くのかと皆が思ったけれど、その感動は長続きせず、コロナを機に離れたお客さんが戻らない。
新たにファンになってくれる人々はどこにいるのだろう?そういう気持ちが湧いてきたタイミングで、「音楽の壺」でも交流があった春日井から「音楽担当が年度途中で退職して空きが出たので経験者に絞って採用試験を行う」というお知らせを受けました。「のだめ音楽会」の発祥の地としても知られる取り組みを行っていた春日井で、これまでの経験を活かしながら、自分の視野を広げられるかもしれないと思い、エントリーすることにしたのです。

『尾張徳川家の歴史でたどるクラシック音楽』公演風景 提供:宗次ホール
地域とつくる、徒歩5分圏内の聴衆
かすがい市民文化財団には2022年1月から25年12月まで在籍しました。私が着任した当時のかすがい市民文化財団ではこれから音楽事業をどうしていくのかというビジョンが不明確でした。音楽家と対等に話ができるスタッフも少なく、言葉を選ばずに言えば「企画は演奏者に丸投げ」ということも。アウトリーチでも、真冬の小学校体育館でサックスアンサンブル…楽器が冷たすぎて持てない、寒さ対策でジェットストーブを焚くと轟音でかき消されてしまう、みたいな現場があって…そういうことを学校側と交渉できる余裕がないと、良い体験にならないと感じました。

一般社団法人ジモートアートによる尾張旭市立城山小学校でのアウトリーチ (演奏:田所光之マルセル ※同校卒業生) 提供: 西野裕之さん
宗次で考えていた「新しいお客さんをどう創るか」という課題と結びついて、かすがいではアウトリーチ事業やロビーコンサートの充実に力を注ぎました。「ホールから徒歩5分圏内の人にまず聴いてもらう」という明確なターゲット設定は自分に向いていたし、面白かったです。そうこうしているうちに春日井と同じことを、自分が住む尾張旭市でも展開できないかと思い立ち、2023年に一般社団法人ジモートアートを設立し、尾張旭市内でもアウトリーチやコンサートの企画を開始しました。
私は頼まれると頑張るタイプで、自分から何かを始めるのは苦手です。「どうしたらいいですか」と聞かれると頑張れる。職人気質や専門性を極め続ける体力はないんですが、企画のマッチングが好きなんです。初期のころは、企画の勘所がわからず、キャスティングで失敗したり、思うようにお客さんに支持されなかったりと、反省の日々でしたが、たくさんの公演をやるうちに成功率は上がっていきました。

文化フォーラム春日井ロビー・コンサート「昼コン」の様子 提供:(公財)かすがい市民文化財団
閉じたホールをもう一度――しらかわホールの挑戦
しらかわホールへの参加は宗次の最初期に似ていますね。売却先が決まったという報道を見て「また始まるんだ」と思っていた時は他人事でしたが、その後アドバイザーとして相談を受け、このホールの復活を何とかしたいと感じました。もちろんこのような重責を担えるのかという躊躇はありましたが、この再開に関わる人々と話をしてみると、様々な偶然の奇跡的な一致があちらこちらに見つかり、これは引き受けるべき仕事であろうと決心するに至りました。
しかし実際に内情を知るにつれて、このホールを維持することの困難さをひしひしと実感しています。貸館の利用料だけではホールの維持費を捻出できません。そのうえ30年経過したホールは様々な修繕が待ったなし。主催公演の原資はどこにもない。皆さんの記憶に残る世界中の一流演奏家がその舞台に立っていた「しらかわホール」の輝かしい日々との落差は相当です。
新しいホールのオーナーは、宗次さんと同様、クラシック業界とは全く違うところで事業を成功させてきた実業家です。ある意味宗次ホールと同様、クラシック音楽の愛好家のほうだけを向いた商売では、ホールを持続できない。常識を捨てて考えることが常に求められています。例えば新たに設けられる「ボックス席」の発想もその一つです。ほかにもレストランやカフェなどをオープンさせるなど、コンサート以外の目的でも人々が集う場にするプロジェクトも並行して進行していきます。とはいえ最優先すべきは、演奏家が安心してパフォーマンスできる環境を取り戻すことだと思っています。

しらかわホール外観 提供:しらかわホール
失敗できる現場に
ホールマネジメントのスキルが最初からあったわけではありません。やってみないと答えは出ない。「失敗を恐れるな」ってよく言いますけど、怖いし責任もある。だけど失敗ができる環境がないと人は育たない。クラシックは失敗を許容しにくいジャンルで、楽章間で拍手が起きると「シッ!」とたしなめられたり、間違いをあら探ししたりすることもある。その矛盾の中で、作る側は失敗もたくさんした方がいいと思います。
周りの方々を見ていてもそうなんですが、斬新な企画を考えているプロデューサーはトライ&エラーの数が違うんですよね。とにかくどんどん打ち返していくことが大事です。うまくいかない例が何十回もある中で悔いが残ることも多いですし。悔いが残ると、次はこういうことの無いように、と自分のなかに深く刻まれて次につながります。
私自身振り返ってみると、偶然にこの仕事に入り、多くの方々との出会い、そして失敗と反省を日々の糧にしてこれまでなんとかやってきたという思いが強いです。音楽の知識だけではなく、街頭でチラシを配る気概とビジネスの感覚。文化を支えるためには地道な積み重ねが欠かせません。これからも私は様々な世代の人たち、とりわけ若い人たちと、一緒に失敗し、学び、挑戦し続けていきたいと思っています。

しらかわホール公式サイト
