調査研究
インタビュー
舞台芸術
2026.3.4
【調査研究】名古屋の文化芸術を支える人たち vol.10 楠部享子さん

名古屋で鑑賞できる美術、音楽、演劇などの文化芸術に関連し、美術家、演奏家、舞踊家などの表現者や、美術館、文化施設、教育機関の企画者などに関する記事等は数多くありますが、イベントやプロジェクトを支えるマネジメントの担い手の紹介はそれにくらべると多くはありません。本調査では現在、名古屋の重要なプレーヤーとなっている方々の経験談から、文化芸術活動へのヒントを発見していただければと思います。
第10回 インタビュー: 楠部享子さん

撮影:リア制作室
<プロフィール>
株式会社メニコンビジネスアシスト イベント・クリエーション部次長、プロデューサー。愛知県生まれ。「スター・クラシックス・アカデミア」及び、自身がプロデュースするコンサート、舞台作品等各種のプロジェクトを通じて、地元のアーティスト、とくに若手演奏家が活動する機会の創出に力を注いでいる。
<職種紹介>
制作プロデューサー。クラシック音楽を中心としたコンサート・舞台作品・イベントの企画制作を担う。メセナ事業の企画、オリジナル公演の制作、地域アーティストの発掘育成、アカデミア運営、シアター・ホールの施設管理などを通じて、企業と文化をつなぎ、舞台芸術の現場を支える役割を果たしている。多様な立場をつなぐ調整力、コミュニケーション力が求められる。
企業の広報宣伝から、キャリアを再構
大学を卒業後、一般企業に就職したのちに名古屋大学 大学院教育発達科学研究科での学び直しを経て、中途採用でメニコンに入社させていただきました。もともと読書が好きで、言葉や物語を扱う仕事ができないかと希望していました。メニコンという企業をよく知って志望していたわけではないのですが、広報の仕事が向いているのではとご紹介を受けました。それが今から22年ほど前のことです。当時の広報宣伝部に入って、そこからです。
メニコンは2024年に逝去された創業者の田中恭一が、戦後復興期の名古屋において、「ものづくり」の原点ともいえる独創の精神をもって一代で築いた会社です。広報部門に入社した私は、もちろんコンタクトレンズや洗浄液など、メニコンが作る製品の広報をするのですが、社会貢献活動にも関わっていきます。メニコンは、「より良い視力の提供を通じて、広く社会に貢献する」を企業スローガンとして、たとえばサッカーのU-15世代の東西対抗戦である「メニコンカップ」への特別協賛、そして「メニコンスーパーコンサート」として、多くのクラシックコンサートをながらく開催しています。
私が入社する直前までのメセナ活動としては、たとえば海外オーケストラの全国5都市ツアーを買い取るような大きな規模での企業協賛を実施していました。通常なら一万円を優に超えるコンサートを安価なチケット代金で鑑賞できるように企業がお金を出すというものです。しかし私はたまたまそうした協賛のありかたを見直す時期に担当になったこともあり、メセナ活動の宣伝をする役割を担いつつも、音楽の何が素晴らしいのか、自分がPRするものの良さが本当の意味で分かっているのか、と自問することもありました。
そして、個人的な事情もあって、いったんメニコンを退職して、一時はクラシック音楽事業の制作会社のお手伝いをすることになりました。そうすると制作実務の中身がわかっていき、それまで知らなかったことが見えてきたわけです。
音楽事業の制作現場へ
実際にコンサートを制作していく現場で仕事をしてみて、表舞台は一見華やかで美しい世界ですが、一方で泥臭いというか、危うさのようなものを感じたのが正直なところです。演奏者の皆さんは純粋に音楽を愛していて、もちろんその音楽自体も素晴らしいものです。でも制作やマネジメントという仕事は、音楽に向かう純粋さや音楽の美しさとは対極の面もあるという感覚を味わいました。つまり、音楽をお金にしないと演奏者もマネジメント会社も生活していけない。音楽や舞台による感動、演奏者が積み重ねた努力をお金で計ること、そこにジレンマを感じていては成り立たず、当たり前といえばそうなのですが、現実に制作会社がそのバランスが取れずに破綻していくような実情も垣間見て、危ういという感覚に陥ったわけです。だからこそ、社会のなかで基盤のある企業が関わる意味やメリットも感じました。
当時の私には知識も情報もネットワークもまだまだ足りていないと自覚していましたが、携わった事業をとおして、自分の中に触発するものがやっぱりあったのだと思います。最初からクラシック音楽が好きだったとは言えなくても、歴史が好きで、物語が好きな自分には、文化芸術は必ずその時代の鏡なのだという直感のようなものがありました。時代の鏡に触れることは人間の歴史や物語を知ることであり、想像のなかに創造力を培う土壌となるものに違いない、という自分なりの筋道を、今もって探索中です。
そして2009年ごろから、当時のメニコン社長、現在は名誉会長である田中英成氏が、「あおい英斗」というペンネームで脚本作詞家としての創作活動を本格的に開始される時期に、私もそこに携わらせていただくことになりました。そのなかでゼロから物語を組み立てるという面白さと責任を知りました。2012年にはHITOMIホールが開館し、コンテンツを自社で作るための部門として、グループ会社内にイベント事業部が新設され戻ることになったという経緯です。
HITOMIホールでは、地域の文化発信の場にしていくためにも、という想いで、地元で活動するアーティストや演奏者を中心に起用する「プリズムステージ」を企画しました。ホールを企業が社会にメッセージを伝える場のひとつとして機能させていくことを目指し、メニコン創業の精神でもある「創造」「独創」「挑戦」の心を文化面で表現するために、クラシック音楽をベースに、音楽と他ジャンルとのコラボレーションによるオリジナルコンテツの企画・制作で、多彩な企画ができるようにと「プリズム」と名付けました。この自主企画の数を増やし、現在では年間30公演ほど実施しています。110席キャパの公演を入場料収益だけで制作を賄うのが大変な時期もありましたが、継続することによって徐々に社内外に知っていただくようになりました。
イベント事業の存在意義のひとつとして、演奏者の皆さんがゆくゆく花開いていく現場をつくるということも重要です。現場や演奏面での協調性とかアンサンブル力は、ゼロから作るオリジナルコンテンツだからこそ見えてくるものがあると考えていました。こうしてまずプリズムステージを基盤にしながら、公共施設の主催事業や地域の市民ミュージカル、学校法人の芸術鑑賞会などにつながるように営業に行くこともありました。

オペリータ「ブエノスアイレスのマリア」より、2025年7月、「プリズムステージ」公演
継続する意義:歌劇『あしたの瞳~もうひとつの未来』
大きな公演としては、メニコンが2011年に創業60周年を迎えたことを記念して制作、2013年9月に東京芸術劇場で初演された歌劇『あしたの瞳~もうひとつの未来』があります。日本で最初に角膜コンタクトレンズを開発し製品化した、メニコン創業者の故・田中恭一の半生をモチーフにした歌劇で、作曲と指揮は宮川彬良さんが担当し、彼にとって初の書き下ろしオペラとなりました。出演者は東京で活躍するアーティストとともに、地元で活動する多くのアーティストも出演させてほしいと希望しました。斬新で躍動感のあるオペラで、宮川さん独特のリズムやグルーヴ感があり、通常のオペラ歌唱ではちょっと賄えないような音楽性をもつ作品、そのオリジナリティをお客さまにどうアピールしていくかも課題でした。また、全体像が見えない中で予算を立てていく、もしくは予算に即した内容に落とし込んでいくという制作作業でしたから、試行錯誤が続きました。
初演を行った東京芸術劇場の会場はコンサートホールでした。そこで歌劇を上演することに関しては、音の響きの問題もあり字幕をつけるか否かを検討しましたが、結局つけませんでした。でも日本語が聞き取りにくかったという反応があったことは事実ですね。また、従来のオペラ愛好家やクラシックファンに対して、「あしたの瞳」という未知の物語の面白さをアピールすることなど、集客には苦労しました。
こうした課題をふまえて、だからこそ、作った作品を大事に続けていくことの責務も自覚しました。2015年には地元の名古屋、愛知県芸術劇場大ホールで再演させていただきました。その後は、メニコンスーパーコンサートとしてダイジェスト版に演出を変えるなど日本各地で上演を続けることができました。そして、2023年7月に開館したメニコン シアター Aoiの柿落としでは、メニコン創業70周年記念として、2015年以来のオペラ全編を上演することができました。作品、そしてホールや劇場というインフラも、作った限りは美しい形で継続していく責務があると思っています。ですが同時に、そのハードルは並大抵のものではないとも感じます。

歌劇『あしたの瞳~もうひとつの未来』2023年7月、メニコン シアター Aoi公演
若手演奏家の“明日”を育てる「スター・クラシックス・アカデミア」
メニコン主体で設立されたスター・クラシックス協会から企画運営を任されることになった「スター・クラシックス・アカデミア」。
日頃から私が若手演奏家の方々に接する時に、メールや電話でのやりとりなどで、もったいないなと感じることがしばしばありました。ビジネスマナーというだけでなく、演奏家の皆さんが幼少期からの鍛錬によるその演奏の技術とは裏腹に、自己評価が低かったりする。また、将来に不安を抱える人も多い。けれど、昨日の自分、今日の自分と、次に一歩を踏み出した明日の自分が1日前より少しでも成長しているという実感が伴えば自信につながるはず。若い演奏家の皆さんが前向きに頑張れる、音楽家人生を楽しめるなら、その楽しんでいる人を観た周囲の皆さんのなかでも興味が湧く人が生まれる、興味が湧けば応援する、そんな波に繋げるためのアカデミア的なものを作ったら、良い相乗効果を生み出せるんじゃないかと考えたわけです。
こうして演奏家の“セルフ・プロデュース力”向上を主眼においた「スター・クラシックス・アカデミア」を開設しました。ここでは年間約30講座の最後には成果発表としてのコンサートを実施し、またその途中経過をラジオ番組として広く一般の皆さんにお届けします。
現在第7期生を募集していますが、その講座の内容は演奏技術ではなく、むしろ演奏以外に演奏家として必要と思われる考え方などの養成になります。前向きなマインドセットのきっかけづくりと言ってもいいかもしれません。
また修了生には、我々が企画制作する事業にいろんな形で関わっていただいて、出演機会を増やしていくことも心がけています。「スター・クラシックス」の名称に「スター誕生」という意図を込めていますが、本当の意味で音楽を長く続けて生きていける力を身につけてもらうことを期待しています。目標を持たないとブレるし、悩みます。ですから自分の中で作る「スター」、つまり「こう在りたい自分」、「理想の自分」を追求していって欲しいですね。


「スター・クラシックス・アカデミア」講義の様子
繊細でありながら発揮する鈍感力
仕事におけるスキルと言われると…良い意味での“鈍感力”を持つということでしょうか。無神経では絶対ダメなのですが。自分とは違う人や組織を、つまり演奏者やアーティスト、クリエイターの皆さん、そして企業と社会とをつなぐ役割を担っていく。自分の感覚とは全く異なる人や考えに対峙しなければならないし、その窓口になっていくので、無神経でいてはできないけれど、まあまあな鈍感力も必要かなと。そのうえで繊細でデリケートな配慮ができる。配慮は厳しさを伴う場合もあり、自分ができているかどうかはわかりませんし正直なかなか難しいのが実情ですが、それを想像することが大事だと思っています。
かつて広報部員として、雑誌社などに飛び込み営業したことがあります。お金をかけずに広報するために飛び込んでいくことを、自分はあまり抵抗なくできるタイプだった。演奏者やクリエイター、先生と呼ばれる皆さんに対しても、知らないことでも当たって砕けるというか…もし砕けても、またやり直せばいいか、という図々しさがあったのでしょうね。
部署として、最初は一人ではじまった仕事でしたが、いまは構成員も増え、組織として継続していくために基盤を盤石にする段階だと思っています。まずはクリエイターや出演者が力を発揮できる環境を作る。気持ちよく施設を利用できるサービス体制を標準にする。また、舞台制作においては自分自身がクリエイトに参画する局面や総合的に最適と思われる判断を下す必要もある。それらをホストとしてのホスピタリティ精神とともに両立させることが必要です。苦労もありますが、こういうことが知れるってラッキーだよねと、職場では話しています。
自分のオリジナリティや創意工夫、考え方によって、日々の仕事はクリエイティブなものになります。クリエイティブは舞台のうえだけでなくどこにでも隠れている、そう考える仕事の取り組み方ができるチームにしたいなと思います。
写真:楠部享子さん提供
*1枚目を除く

株式会社メニコンビジネスアシスト イベント・クリエーション部公式サイト

メニコン シアターAoi公式サイト