【レビュー】MINED&MIND(Project by Art Link Kanayama )文:古橋敬一(愛知学泉短期大学講師) | つながるコラム | クリエイティブ・リンク・ナゴヤ

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2026.3.23

【レビュー】MINED&MIND(Project by Art Link Kanayama )文:古橋敬一(愛知学泉短期大学講師)

 

クリエイティブ・リンク・ナゴヤでは、文化芸術を活用した再開発の計画が進む名古屋・金山の街を舞台に、金山の街の文化を掘り起こし、発信するメディアプラットフォームでありプロジェクト〈MINED&MIND〉を展開してきました。今回は、愛知学泉短期大学講師・古橋敬一さんによるレビューを紹介します。

 

【MINED&MIND(Project by Art Link Kanayama )】

イベント開催期間:2025年10月28日(火)~11月26日(水)
イベント会場:金山エリア各所(Callejera STAND GARAGE、金山ブラジルコーヒー、SPAZIO RITA/DUCT、24PILLARS、TOUTEN BOOKSTORE、ハコワレ)
主催:クリエイティブ・リンク・ナゴヤ
企画ディレクション:LIVERARY
協力:Callejera STAND GARAGE、金山ブラジルコーヒー、SPAZIO RITA/DUCT、24PILLARS、TOUTEN BOOKSTORE、ハコワレ
プロジェクト情報ページ:https://minedandmind-kanayama.com/

 


 

■ 古橋敬一 愛知学泉短期大学講師

Link, Mine, Mind ―金山、リミナリティを航る共事者たち―

通過点としての金山に潜む鉱脈を求めて

鉄道3路線が乗り入れる金山総合駅

 

 無数の乗降客が、意思を失った群衆のように次々と彼方へ押し流されていく。JR、名鉄、地下鉄が複雑に絡み合う名古屋随一のターミナル駅、金山。駅周辺には、汎用的な商業施設とチェーンの居酒屋が乱立するが、それらと入り混じるようにして猥雑なネオンが煌き、古びた雑居ビルがひしめく。そこに張り付く看板には、幾重にも塗り重ねられた街の記憶が染み付いている。その景観からは「都市のパルプ・フィクション※1」とでも呼ぶべき混沌と、独特の魅力が漂う。

 

 金山は、名古屋を支える交通の「境界的中心(ハブ)」でありながら、同時に都市計画の視線からは見落とされた文化の「辺境(マージナル)」でもある。この圧倒的な中心性と、手付かずの辺境性という両義性のあわいにこそ、金山を単なる「通過点」から「物語の舞台」へと変貌させる固有の価値が潜んでいるのではないか。だが、目的地へ急ぐ人々にとって、金山はどこまでも「単なる乗り換え地点」だ。人々はただ足早に、この街を通り過ぎていく。そこに堆積するオーセンティックな文化の深層は、未だ手付かずのままだ。

 

金山駅の南に位置する沢上商店街

 

 本プロジェクト〈MINED&MIND〉は、この「素通りされる街」を、「重層的な文化資源を誇る街」として再定義する試みだ。見逃すには惜しい店、人、カルチャーを発掘するプロセスを公開し、発信する。「Mined(発掘された鉱脈)」と「Mind(省察する心)」のライム(韻)には、街を単なる消費の場としてではなく、発掘すべき文化資源を内包したトポス(意味を帯びた場所)として把握しようとする意志が響く。だが、なぜ今ここに、そのような小難しい「重層的定義」を持ち出すのか。

 

 事の発端は、築50年を経過した市民会館の老朽化だった。この建て替えに伴い、隣接する駅前の商業施設の「アスナル金山」も含めた一体的な再開発が計画された。そこでは市民会館とアスナル金山が同時期に工事入りし、そのエリアは約7年間にわたって閉鎖されてしまう見込みが明らかとなった。これは周辺の商業者たちにとっては死活問題で、地元からは、反対の声も少なくなかった。

 

市民会館の前に位置するメキシコ料理店・カジェヘラ

 

 また、行政主導の再開発は往々にして「均質なハコモノ」を量産してしまいがちな危うさを孕むが、市民参加型の開発やマネジメントが重視される昨今において、トップダウンなハコモノ経営はもはや誰も望んでいない。それは、この計画を牽引する行政サイドにも自明のことだ。にも関わらず、合意形成はなぜか上手くまとまらない。共創、Co-creation、PPP(官民連携)、あるいはエリアマネジメントでもいいが、現代におけるその種の方法は飽和状態にあり、かつどれもこれもが一長一短で、万能な策は存在しない。

 

 誰もが失敗はしたくないし、一つの正解や根拠が欲しくなる心理が働くのも分からなくはない。しかしながら、本質を欠いた議論の積み重ねほど虚しいものはない。では、どうすれば、沈黙の7年間を「賑やかな助走」に切り替え、誕生する劇場を新たな求心力として、この街に迎えられるのか。

 

リミナリティを航る共事者たちの実践

 この問題に対し、〈MINED&MIND〉は「金山のこれからを考えるメディアプラットフォーム/プロジェクト」という立ち位置を表明する。この企画に抜擢されたのはカルチャーメディア『LIVERARY』の編集人・武部敬俊氏。彼は「金山=文化の街という発信には無理がある」という当初の所感を公言するが、その違和感を逆手にとり、この街にしかできないコンセプチャルな文化アプローチを提唱した。そこには武部氏ならではの審美眼が光る。この「小難しい」ような試みは、金山という街にいかなる「変奏」をもたらすのか。

 

『LIVERARY』の編集人・武部敬俊氏

 

 およそ1ヶ月に及ぶ〈MINED&MIND〉の初動的実践は、単なるイベントの連鎖ではなかった。再開発によって建物が姿を消し、それによって始まる空白の空間と時間。そこにはこの街にとってのリミナリティ(境界状態)が顔を見せる。〈MINED&MIND〉の実践は、この不安定な「空白」をただ漫然とやり過ごすのではなく、むしろ構造が揺らぐ今だからこそのクリエイティブな撹乱を企図する。

 

 リミナリティと言えば、文化人類学者ヴィクター・W・ターナーの『儀礼の過程』が想起される。ターナーによれは、リミナリティとは、コミュニティが次の構造を迎えるまでの通過プロセスであり、そこには「コムニタス」と呼ばれる、社会的地位や役割から解放された人間同士が対等かつ直接的に結びつく一時的な状態が現れるという。この人類学の叡智は、万事が複雑化する現代社会においても大切な示唆を与えてくれる。

 

 この空白を肯定するための鉱脈の一つは、キックオフイベントに登場した店主たち、ブラジルコーヒーや24PILLARSに代表される、この地に根を張る人々のコミュニティだ。このコミュニティの住人たちは、独自の「自分軸」という杭を街に打ち込み、商売という営みを通じて、街のオーセンティシティ(その街らしさの本質)を死守、あるいは賑やかに創造している。

 

MINED&MIND キックオフ トークセッションに出演した金山の店主たち

 

 もう一つの鉱脈は、公募によって集まったボランティアたちが生み出すコムニタス(非日常的な共同体)である。利害や属性を超え、金山のノイズを面白がり、既成の都市計画にはない独自の視点で「補助線」を引き続ける軽やかな連帯。この成熟した店主たちの矜持と純粋なボランティアの熱源が交差するターミナルが、次なる金山の姿を誘発するのではないか。

 

 クリエイティブ・リンク・ナゴヤは、金山エリアへの新たな劇場の整備やアスナル金山の再整備を核としたまちづくりの検討に対し、すでに昨年から「アートリンク金山」を立ち上げて、アーティストと地域が協働する参加型のアートプロジェクトを推進してきた。そして、今年度は〈MINED&MIND〉を開催することで、そのプロセスを一歩前進させた。それらは、アート&デザインによる文化的アプローチによって、バラバラな点を繋ぎ、(LINK)、街の深層を掘り起こし(MINE)、自らの心で省察する(MIND)プロセスでもあった。それは、行政が単独で描く都市計画には描ききれない、人々の「野生の思考※2」を肯定し、街の解像度を上げていく行為に他ならない。

 

老舗喫茶店・ブラジルコーヒーで開催されたDJイベント

 

 新たな劇場の建設に際し、名古屋市が掲げる「人・文化・芸術とともに育つまち」というビジョンに対する地域の想いは、決して一枚岩ではない。そこにズレ、すなわち「ノイズ」は常に存在する。それはある種の向かい風でもある。しかし、20世紀の思想家バックミンスター・フラーが説いたのは、逆風は立ち止まる理由にはならないということだ。帆走する船は、正面から吹く風に対して、斜め45度の角度で帆を張り、その圧力を揚力へと転換しながら前進する。見方を変えれば、そうしたノイズこそが、新たな劇場という巨大な船を動かすための風そのものなのだ。今必要なのは、燃料ばかりが必要な巨大なエンジンの設計ではなく、この航海術を身につけることではないか。

 

古民家居酒屋ハコワレにて開催されたDJパーティー

 

近隣の書店 TOUTEN BOOKSTORE にハコワレの店主がゲストバーテンダーとして出張し、一夜限りのブックショップ BAR を開店

 

 これから私たちが引こうとする「補助線」は、巨大な船の舵の端に取り付けられる「トリムタブ(小さな舵)※3」に過ぎないかもしれない。しかし、その小さな抵抗が船を動かし、やがて都市全体の進路をゆっくりと変化させていく。

 

 こうして思考すると、7年間のリミナリティは、決して空白でも停滞でもない。それは、私たちがこの街の「共事者※4」となり、ノイズという風を捉え、かつてない角度で未来への舵を切るための航海の始まりというようにも考えられる。

 

SPAZIO RITA/DUCT でのアーティスト・井本幸太郎と vivian sui method によるライブパフォーマンス

 

新たな風、描き換えられた航路

 本稿を書き終えようとしていた矢先、一つのニュースが飛び込んできた。2027年10月に営業終了を予定していた「アスナル金山」が、工事費高騰などの影響により、2036年3月まで営業を延長する方針を名古屋市が明らかにしたという。一方で、市民会館の建て替えスケジュールは、現状維持のままだそうだ。

 

 また違う角度から、強い風が吹いてきた。金山という街が抱える「ままならなさ」と「流動性」を象徴するかのようなニュースだ。地元商業者たちにとっては、胸を撫で下ろすような報せなのかもしれない。今また、7年間というリミナリティの輪郭は、社会情勢からの突風を受けて、その期間を延ばし、姿を大きく変えようとしている。

 

 このニュースを受けて私の心に去来したのは、戸惑いよりも静かな確信だった。予定されていた計画が変更された今こそ、金山のオーセンティシティが試される。アスナルが残り、市民会館が解体されてゆくという、歪で不均衡な摩擦をどう読み解くのか。〈LINK, MINE, MIND〉の真価が問われるのは、まさにここからだ。

 

地域の魅力をカルチャー的な視点を持って耕してきたキーパーソンたちによるトークイベント「CITY TALK」

 

 予定調和が崩れた今、この街を航るための斜め45度の帆走は、また新たな風に備えなければならない。風向きが変わるなら、トリムタブの意志もよりしなやかに、その風に応えることが求められるだろう。

 

 金山の鉱脈は、掘り起こされるのを待っているだけではない。想定外の延長は、私たちがこの街の深層をさらに掘り起こし、文化を耕すためのボーナスタイムかもしれない。この揺らぎ続ける不確実な時間の中で、私たちの足跡そのものを新たな地層として刻んでゆきたい。

 

 航路は描き換えられた。だが、目的地を見失ったわけではない。

 帆は、まだ張られたばかりなのだから。

 

アーティスト・数見亮平の個展開催中の24PILLARS

 

(撮影:中村春奈、CLN事務局(2枚目)、bansoma(最後の写真))

 


 

※1  都市のパルプ・フィクション
パルプ・フィクションの語源は、20世紀のアメリカで大流行したパルプ(木材パルプから作られた安価な粗悪紙)に印刷された大衆向け娯楽雑誌の総称。転じて、「安っぽく刺激的で、どこか退廃的な物語」を指す。これに美学を見出して大ヒットしたクエンティン・タランティーノの映画のタイトルとしても知られる。本文においては、洗練された「都市計画」の枠組みからこぼれ落ちた、金山の雑多で猥雑な風景を、消費され使い捨てられる三文小説のページに見立てて表現した。そこには、高尚な文学にはない、生々しい人間の欲望や街の記憶の堆積というニュアンスが込められている。

 

※2 野生の思考
文化人類学者クロード・レヴィ=ストロースが提唱した概念。近代的な「科学的思考」が目的のために手段を設計するのに対し、その場にある限られた道具や材料を組み合わせて物事を作り上げる「ブリコラージュ(器用仕事)」的な知性を指す。

 

※3 トリムタブ(Trim Tab)
巨大な船を動かす「舵」の先に付いている小さな補助舵。バックミンスター・フラーは、一人ひとりの人間を、社会という巨大な船の進路を変える「トリムタブ」になぞらえた。彼の墓碑銘には、自らの信念を象徴する言葉として「Call me Trimtab(私をトリムタブと呼んでくれ)」と刻まれている。本プロジェクトにおける「補助線」もまた、この小さな舵としての役割に重なる。

 

※4 共事者
地域活動家の小松理虔が提唱した概念。「当事者(出来事の対象者)」や「参加者」を超え、ある事柄やプロジェクトを「共に成す」主体。本稿においては、金山の未来を自分事として捉え、能動的に街の描き換えに関わる人々を指す。

 


■ MINED&MINDの活動報告もあわせてご覧ください。