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2023.5.6
【インタビュー】現代美術と食を媒介に、まちとひとが自然体で交流する場づくり。 瀬戸を拠点とするアートスペース&カフェ「Barrack」が続いてきた理由。
LIVERARYでは、39歳以下の若手アーティスト及び文化芸術団体を対象とした「助成C」に採択されたアーティスト/団体計7組に注目。前回記事では彼(彼女)らへ共通のQ&Aを掲載した。
今回は、その中から、瀬戸市でアートスペース&カフェ「Barrack」を企画・運営する美術家の近藤佳那子さんと古畑大気さんをピックアップし取材。「クリエイティブ・リンク・ナゴヤ」の助成金をもとに製作された、二人のこれまでの活動実績をまとめた冊子を見ながら話を聞いた。
気負わず自然体のままとも言える彼らの姿勢。だからこそ生まれてきたであろう、真の意味での正しい場づくりの在り方や、アートとその作り手たちとの関わり合い方を、深く提示しているように感じた。
KANAKO KONDO
TAIKI FURUHATA
(Art Space & Cafe Barrack)
Interview, Text & Edit:Takatoshi Takebe(LIVERARY)
Photo:Takayuki Imai
Supported by Creative Link Nagoya
―では、まずBarrackの成り立ちのところから教えてほしいんですけど。最初に、なぜこういう場所をやろうと思ったのか?というところから。
近藤:今、入居してるビル自体が「タネリスタジオ」というシェアアトリエになっていて。2階、3階がアトリエになっているんです。実際アトリエとして10数人が使っていて。いろんな作家たちが制作する場所となっています。ここは、もともと瀬戸市の空き家バンクに載っていた物件で、それを見つけてきた「タネリスタジオ」の代表と副代表が、「こういうスペースあるんだけど何か一緒にやってみない?」って声かけてくださって、「じゃあやってみるか」という感じで始めたのが2017年ですね。
―そんなライトに始められるもんなんです?(笑)
近藤:自分たちは学生の頃から学内でオルタナティブスペースを運営したりしてたんです。
—お2人で?
近藤:今Barrackは2人でやっていますが、その時のスペースは数名で運営してました。だからそもそもオルタナティブスペースというものに興味があったのと、自分がご飯作ったり、みんなで一緒に食べたりするのが好きで、そういうことが好きでやっていたんだけど、「生活や仕事としてそういうことやれるのか?一回試してみたかった」という思いもあったりして、じゃあ場所を作ってみようとなり始まったのがBarrackです。
—もともと学生時代にやっていたオルタナティブスペースというのは、どういう感じだったんですか?
近藤:愛知県立芸術大学の学食の2階にあるもともと倉庫だった場所を、私たちの10年くらい先輩たちが片付けてすでにスペースとして使用していて。校内の学生の展示やったりとかしていたんですが、段々活動が縮小してきていたので、「そのスペースもっとちゃんと使ったらおもしろいのにな」という思いで始めて、「学食二階次元」って名称で。学外からも人を呼んできて展示してもらったり、逆に私たちが外部の展示に出させてもらったりとか、そういう形で学内だけで収まるんじゃなくて、外とつながりを持ちながら、連動して運営していくスペースみたいなのをやってましたね。基本展示空間みたいな感じで、たまにオープニングパーティーやったり演奏会やったりみたいな動きもしていました。
—なるほど。結構、自由に使わせてもらえてたんですね。
古畑:一応形態としては「部活」としてやってました。自分たちがやる前は「企画部」っていう名前だったんですが、引き継ぐにあたってちょっとイメージ一新というか、名前変えよう!ってなって。「ゼロ次元」※から取ったんですが。
※1963年から72年まで「人間の行為をゼロに導く」をコンセプトに過激でナンセンスなパフォーマンスで活躍したグループ。加藤好弘、岩田信市を中心に名古屋で結成されたゼロ次元は、63年に名古屋国際ホテル前でメンバーが道路に腹這いになって行進するパフォーマンスで観衆の前に現われた。「儀式」と称した彼らの活動は、新宿で全裸に防毒マスクという姿で歩き回る、貸し切りにした都電内に紐で縛った全裸の男女を乗せて走らせるなど、都市空間で突如、裸体を露出した集団が行動することを特徴とした。(引用元サイト)
古畑:顧問の先生もちゃんといて。でも、顧問の先生は一切活動内容に関わることがなく、ただ許可のサインだけくれるって感じでしたね。部活形態なので後輩とかもいて、引き継いでもらって、自分たちはフェードアウトしていくって感じで。
—今でもその部活は残っているんですか?
近藤:ありますね、名前もそのまま使ってもらって。
—その活動が、Barrackという今のお二人の活動のベースになっているっていうか、ある意味助走期間みたいな感じだったってことですかね?
近藤:なんか唐突に始まったっていうよりは、学生の頃やってみた結果、「いろんな人と知り合えるな〜」というところが大きくて。それをもうちょっとちゃんとスペースとして自立できるのかどうか?の実験みたいな感じで、Barrackの活動を始めたので、延長線上にある活動っていう感じですね。
—なるほど。2017年にBarrackを立ち上げた時は、もう大学は卒業はされていたんですかね?
近藤:はい。2014年に大学出ているので、卒業してから3年くらい経ってたかな。卒業してすぐはちょっと違う仕事したりしつつ、こういう場所あるよって話が2016年に来て。
古畑:実質1年くらい準備期間を経て、2017年にオープンした感じですね。
—もともと瀬戸にはゆかりがあったんですか?
近藤:それこそ「企画部」を立ち上げた先輩たちのなかの1人が、この近くにある商店街を使ってグループ展をやっていて、それを学生の頃に見に行ったり、遊びに行ったりしていて。そのうちに、そのグループ展に自分も参加させてもらったりもしていて。なんとなくこの地域のお店のことも知っていって、そうやって何となく瀬戸に縁ができていったというか。
—瀬戸に対して、ゆるやかに親しみを持っていたという感じですね。2人は、愛知出身ではないんです?
近藤:私は三重県出身で。
古畑:自分は長野県です。大学のために愛知に来たって感じです。
—外から来た人にとって、瀬戸に関してはどういう印象があったんでしょうか? もうだいぶ慣れ親しんでしまっていると思うんで分からなくなってるかもしれないですけど。最初の印象について思い出してみてもらえませんか?
近藤:最初の印象は、「面白いな」でしたね。古い歴史のある街だし、窯業の建物も多かったりして、古い商店街もあって……最初から割と惹かれている感じがありました。
古畑:隙間が多いんですよね。
近藤:なんかその間(ま)みたいなのが普通にある、隙間がある感じというのは意外とほかの街にないな、というのは思っていて。もうずいぶん前ですけど、「芸術家横丁」と呼ばれている場所もあったりして。やきものの倉庫だったところをアーティストが入り込んで作品作ったりとか、展示しているスペース作ってたりしてた場所とかがいくつかあったんです。まちが芸術と離れていない感じがもともとあったっていう印象ですね。
—もともとやきもののまちだから、陶芸作家さんとかも住んでる場所ですもんね。
近藤:そうですね。外から来た若手の作家も増えてるし、先代の後を継いでそのまま作家になってる作家さんもいたり。やきものの作家さんはめちゃくちゃいますね。
古畑:でも、常滑とか多治見とかほど出来上がってない感じがあるんですよね。だから、そういう意味でもまちの隙間に僕らみたいな存在が入り込めそうな雰囲気がすごいあって。
近藤:瀬戸のやきものは分業で職人さんが作業しているところも多くあって、会社としてやきものに携わっている大きな倉庫が廃業されちゃうところとかも結構あって、ぽこぽこ空いてる感じですね。
—ちなみに、Barrackの名前の由来について説明してもらってもいいですか?
古畑:柳田國男の教え子で、今和次郎って人がいてその人の活動から取りました。「路上観察」の走りみたいな人で、「考古学」に対して「今を考える」っていう「考現学」っていうのを始めた人で。関東大震災の時にたくさんの家屋が壊れて燃えちゃったりして、とにかく住居がすぐ必要で建築法とかもすごく緩くなって、すごく質素で簡素な家が増えていって。いわゆる「バラック小屋」みたいなそういうものです。それを今和次郎とその一派で装飾して回ろうっていう活動をしていて。「バラック装飾社」っていう団体が一時期できて、その「バラック」です。最初、ここもすごい廃墟に近い状態で、2階とかも雨漏りがすごくて。それを大きい水槽とかで受けてたりして(笑)。ここ自体がまさにバラックだったし、瀬戸ってそういう建物や場所が多いので、まちともリンクした名前かなって思います。
—瀬戸って普通に考えると名古屋からもちょっと外れてるし、人が来にくいイメージというか、お店やギャラリーをやるにしても立地的に難しそうと思ってしまうんですが、そこはリスクと感じなかったんですか?
古畑:とにかく家賃が安いんで、ランニングコストがかからないから、とりあえず始めやすいし、なんとか続けてやっていけるだろう、と思えましたね。
近藤:そうだね。やりたいことを試すにはすごく良い条件だったんですよね。必死に家賃払うために、レンタルギャラリーみたいにして箱貸ししたり、お客さんをバンバン呼ばないといけないっていう状態になると、自分たちのやりたいこととズレちゃうというか。あとはおもしろい人たちがここに来てくれたり、ここで出会ったりという感じの交流できる場所になりたかったんで。名古屋でスタートする方が、ハードルが高かったのかな、と。なのでちょっと外れたところで始めれたっていうのは、むしろメリットの方があったというか。
古畑:ほど良い距離感で、ちょっと頑張れば名古屋にもいけるし、という感覚でした。このビルの大家さんも私たちみたいなアーティストにこの場所を使ってほしいというスタンスでいてくださってて。自由にやらせてもらっています。
古畑:「タネリスタジオ」の代表の方としても、ここを単なる集合アトリエにしちゃうとシャッター閉めっぱなしで、近所からあそこ何やってるか分かんないっていう見え方だとよろしくないので、Barrackが入ることでオープンなスペースが1個あるといいかなって話を最初から言っていたので。人が呼べて、みんなが集まれるようなこの建物の窓口的な感じになれたらお互いにとっていいなって。
—実際、Barrackの売上だけで普通に生活していけるくらいに全然やっていけてるんですか?
近藤:そうですね。
古畑:今のところカフェだけで。ギャラリーはそんなに売り上げはないので。カフェがあればとりあえずやっていけるという感じ……っていってもカフェで働いているのは近藤さんだけで、自分は外でインストーラーの手伝いとかディスプレイの仕事をしたりしてます。
—最近のBarrackさんの活動として、この場所の運営だけでなく、いろんな外の動きをされている印象なんですが。例えば、「瀬戸現代美術展」とか。あれ、すごい規模感ですよね。
近藤:「瀬戸現代美術展」はざっくりいうと瀬戸に所縁のある現代美術作家だけを集めたグループ企画展なんですが。今年の6月でBarrackをやり始めてからもう6年経つんですけど、だんだん年を繰り返していくと「瀬戸ってめちゃめちゃ作家いるな」ということに気づいて。それも、ここシェアアトリエ一つだけじゃ無くて、他にも何個もアトリエあったりして。結構いろんな作家が滞在してることに気づいたんですよね。それも現代アートの作家でちゃんと作ってちゃんと発表して、それで食っていこうとしている人たちがかなりいるっていうのが分かって。
—それって県芸が近いから?
近藤:それもめっちゃあると思います。大きい倉庫もあったりするし、ものづくりの土壌が結構あるので、作りやすいというか、なんかそれもあると思うんですけど。県芸の教授とか、先生もたくさんいたりするし、卒業してこっちに移ってきたりとかっていう人たちがすごい多くて。その状況が普通になってしまっているけど、これってほかの土地にあんまりない「瀬戸特有の面白さなのかも」と思って。そのことをもっとちゃんと発信すべきだし、単純に作品が生まれる土地でちゃんとそこの人たちで会場を作って、発表までして、その後終わってすぐもう何もなくすんじゃ無くて、ここでの制作活動がしっかりと「生活として続いていく」状況を作り出せないか?って思ったんです。それで瀬戸の作家のグループ展をこのまちでやりたいな、と。
—でも単なるグループ展のスケールじゃないですよ。すごく大きい施設とか使っていたので、「あいちトリエンナーレ」とかそういったいわゆる芸術祭に近いものを感じました。
近藤:瀬戸は使われていない遊休施設が多いので、そういう場所を使えないか?と市の人とかにかけあったりするところから始めていて。第一回は窯業の国有試験場だった場所でやって、次が去年やったんですけど、それは近くにある菱野団地という黒川紀章設計の大きい団地があって、そこのエリアで3つくらい会場を作って転々と歩いて見て回れる形でやりました。その前にも、プレイベント的に廃校を使って子どもたちと一緒に展示をやったりとかって試みもしたり。そういったまちと関わるような取り組みを最近はやっていますね。
—なるほど。それは基本的には近藤さんが軸となって?
近藤:一応こういうのやりますって連絡したり人呼んだり、って感じでやってて、会場設営とかそういうのは古畑くんが担当していて。出展する作家たちもみんな近くに住んでいるので、彼らにも運営から手伝ってもらいながら、周りの人をいろいろ巻き込んで、「瀬戸のチームで最後までやる」っていうパッケージでやっていますね。
—開催してみて手応えとかはどうでしたか?
近藤:前回(第二回目開催)の時は、アート展だけでなく、日常の文化とか、生活みたいなものを大事にしましょうっていうので、音楽とか飲食のプログラムも同時にやったんです。土日とかに夜市やったりとか、朝ご飯の会をやったりとか、ライブやったりとかっていうのを入れたので、そういうイベントにはがっつり人が来てくれて、楽しかったです。
—現代アートの展示ってその現代アートだけの領域で終わるっていうか、あんまりその音楽とか飲食とかの要素を入れない堅いイメージがあるっていうか、裾野を広げるのはしたがらないイメージがありますね。
近藤:そうですね。(笑)
—そうするとやっぱり一般の人たちにとっては入り込みにくいし、きっかけが生まれないように思うんですが、Barrackさんたちの場合は、そこをあんまり関係なくやっているイメージですね。もともとBarrackっていう、ご飯食べる場所とアートがある空間を混ぜて運営されているっていうところが始まりだからだとも思いますが。
近藤:なんかそのわかる人だけ見てくれたらいいや、みたいなのになると、単純にちょっとつまんないので。で、かといって美術っていうものは、ちゃんとクオリティがないとダメだと思うし、そのものの良さを理解してもらいたいなっていう気持ちもあるのでアートを雑に扱うようなことはしたくないっていう気持ちです。美術と音楽とご飯ってつながっていくものだと思うし。だからその辺の塩梅は気にしながらやっていると思う。
—まさにBarrackさんの活動の軸はそこですもんね。
近藤:第一回目の時はもうちょっと硬めにやってたんですね。あえてタイトルも「瀬戸現代美術展」っていう硬いタイトルでやって。で、場所が変わってきたのでもう少し間口を広げて、かつ自分たちが見せたいものをちゃんと見せて、みんなも楽しんでもらえる、そんな風にしたいなと思って、なんかイベントというか、音楽の人たち呼んだりしました。でもなんか、やってみてやっぱり結局はつながっている感じがする。出演してもらったバンド・シラオカのボーカルの小池喬さんももともと絵画作家としても活動をしながら音楽家でもあったり。自分たちもご飯も出してるんだけど、作家としても作品も出してるし、みたいな。そういう動きをしてたんで、なんかつながってそういうところも見せて伝えられるかなって。
—なるほど。先ほど最初にお話しされていた、もともと学生の時に部活としてやってた活動のノリがずっと続いているような感じもします。学祭ではないですが、こうみんなで集まって、大きなイベントをやるってパワーがないとできないというか。
近藤:どうなんだろうね。
古畑:そんな大して変わらないかもね。こういうことしかできないというか(笑)。
—好きなことしかやれない的な?
近藤:結局、そうかもしれないですね。なんか、でかいことをやってやるぜ!って感じっていうよりかは、続けながら気付いたらこうなっていった、みたいな感じかもしれないです。
—ご本人たちもBarrackをスタートした時は、まさか団地を使って芸術祭のようなイベントをやってるなんて、全然想像してなかったと思うんですがどうですか?
近藤:うん、でも本当に自分の意思というよりか、いろんな人に肉付けしてもらってBarrackが大きくなっていったようなものだと感じていて。最初は本当に自分のために始めたスペースで。作品を発表するスペースの問題を抱えてたり、当時このままこういう生活をしていってもちょっと苦しいなと悩んでたりしたタイミングでこういう場所と出会って自分のスペースを運良く始められて。そしたら想像より遥かにいろんな人と知り合えた。だから、こんな活動の形になっていくなんて予想は全くしてなかったですね。こうなったらいいなとかはあったかもしれないけど。なんか面白いなあって感じです(笑)。
古畑:大学の時からやってきたことがちゃんとつながってきて、この場所に入らないか?って声をかけてくれた代表の人も学生の時の活動で知り合った人だったり。関係を切らずにいろんな人たちとつながっていったらいろんなところに呼んでもらえたりしたし。こういう場所をやったら、いろんな人が来てくれてまたどんどん繋がりが増えていくんじゃないかっていう期待はありました。でも、これまでちゃんと続けてこれてよかったなって思っています。
—最後に、瀬戸市外での活動についても触れておきたいんですが、「ストリーミング・ヘリテージ 2021 spring|台地と海のあいだ」という名古屋市の堀川沿いを使った現代アートの企画にも参加されてましたよね?あれはどういう展示だったんですか?
近藤:瀬戸のやきものは、瀬戸街道を通って、名古屋城のお堀まで行ってそこから船に積み替えて、で堀川を下って、名古屋港まで行って輸出されていたっていう歴史があって。なんか一時期、名古屋の港から輸出されるものの大半が瀬戸ものだった時もあったみたいで、そういう瀬戸と名古屋のつながりや歴史から、じゃあBarrackのギャラリーの1/1スケールで輸送しようみたいな企画にしました。堀川が海につながっている河口にある文化財の建物(元旅籠屋)にギャラリーを移設して、瀬戸で知り合った写真家で阿野太一さんって方がいるんですけど、その写真家さんと一緒にその人の展示をそこでやるっていうものにしました。ちなみに阿野さんには、今回「クリエイティブ・リンク・ナゴヤ」さんの助成金で作らせてもらった冊子の表紙写真も撮影してもらってます。
近藤:展覧会の中にもう一つ展覧会を作るっていう形で。その一番瀬戸ものが輸出されてたであろう時代の「瀬戸染付」っていう染付け技法があって、愛知県陶磁美術館さんに当時の瀬戸ものを撮影させてもらって。芸術や工芸と日用品や生活の中の器っていうジャンルの境界を曖昧にしていったり、問いかけるような切り取り方の写真作品を展示してもらいました。
—どんな問いかけがテーマだったんですか?
近藤:職人さんもなんかのタイミングで、絵画の公募展とかに出してたりとかしていた記録もあって、職人なのか画家なのかみたいなのも結構曖昧だったみたいで。今は芸術・工芸・デザインとかって職人と作家を区分化してたりするけど、それって本当に正しいのか?どうなのかな?みたいな問いかけですね。
—今後もこういう瀬戸市外での活動も増えていきそうですね。
近藤:瀬戸のことも向き合いたいし、且つここを拠点として、名古屋とかいろんなところでフットワーク軽く活動をどんどんしていきたいなって感じです。
—まさに、「ストリーミングヘリテージ〜」でBarrackを名古屋に輸出したのもその一つですね。それにしても、Barrackさんがこんなにいろんなことをやってたんだって知らなかったですね。
近藤:そうなんです。だからそれを伝えられるツールが作れたことは、なんか今回ほんとありがたくて。
—ホームページも拝見しましたが、活動実績とか何にも載せていないですもんね。LIVERARYも過去の活動をまとめた資料とか更新できていないので、他人のこと言えないんですが(笑)。
近藤:LIVERARYさんの活動って、複数のレイヤーが重なりまくっていて簡単には見通せないですよね(笑)。今回(「クリエイティブ・リンク・ナゴヤ」の助成金採択)をきっかけに自分たちも、活動を見通せるアーカイブを作ることができて、やっぱりアーカイブは大事だなって思いました。特に私たちみたいなことやってることって物として残らないんで。一般の人とかに説明がしづらいし、わかりづらい活動だなって思うので。
—でも、今までの活動のその時々を写真でしっかり記録してるっていうのがさすがだなって思いました。それって作家さん同士のコミュニティだからこそ、な気もします。写真を撮れる人がいたり、展示壁とか作ってって言ったらすぐ作れる人がいたり、何かしらの能力を持った人が近くにいっぱいいる環境ってすごく羨ましいですよ。ちなみに、この冊子は誰がデザインしたんですか?
近藤:デザインは加納大輔くんですね。加納くんは私たちの後輩で、今は関東を拠点に「NEUTRAL COLORS{NC}(ニュー・カラー)」ていう雑誌を作ったりしている人なんですけど、もともと地元は愛知で。めっちゃ売れっ子のデザイナーになってますけど、今でも私たちの無理を聞いてくれてます(笑)。私たちが学生の頃に初めて企画した展覧会のフライヤーを加納くんにデザインしてもらって、その時に初めてデザイナーって仕事について考えた、みたいなことを言ってくれてましたね。
—そうだったんですね。アーティストの人ってやっぱなんかどっか欠落点があるというか、変な人だな〜って人ほど作品を作る才能にその欠落点が転換されているタイプの人が多い気するんですが。加納さんや近藤さんや古畑さんとかって、割とマルチで器用なタイプというか、ディレクター的なまとめる力があるな〜って思います。
古畑:いや、どうなんだろうね。何でもできるように見えて、決定的に何かができない。作家ってそういう人が多い気がします。
近藤:でも、得意不得意をそれぞれ持っているのが、大事なようにも感じます。まあ、みんなで助け合っていかないとね。私たちは、ギャラリストでもないし、キュレーターでもないしっていうのもありますね。一人の作家でもあって、且つこういう場所をやっていて、いろんな人と知り合って、面白い人たちがいるってことも知ったりするなかで、できることを探し続けるって感じですね。
Art Space & Cafe Barrack
住所:愛知県瀬戸市末広町1丁目 31-6タネリスタジオビルヂング1階
営業時間:
木・金 11:00 – 18:00
土・日 11:00 – 19:00
月火水定休
www.cafebarrack.com